第4回県産三線ブランド化委員会 議事録要旨

1.委員発言(発言順、敬称略)

 

 

司会
定刻になりましたので、会議をはじめます。はじめに委員長から挨拶をお願いいたします。

渡慶次 道政
お忙しい中、先生方大変ごくろうさまです。各分野に長けた方ばかりお越しいただいておりますので、活発な議論ができればと思います。

司会
それでは、事務局長の仲嶺からご説明させていただきます。

仲嶺 幹
はじめに、昨年度の総括をさせていただきます。平成28年9月27日、県産三線普及の為、伝統的工芸製品の指定を目標とし、第1回ブランド会議を開催。委員の先生方の顔合わせと、各々の専門分野から三線に関する貴重なご意見を賜り、ブランド化を進めて行く上での指針をご提示いただき、また音楽団体との連携強化についても概要を説明いたしました。
同年11月7日、第2回ブランド会議では、沖縄県民の三線保有率の電話アンケート調査結果を報告。また、琉球大学の谷口委員に、黒檀の価値と現状の課題、そして今後の可能性に関してご意見を賜りました。さらに、博物館の園原委員に三線の持つ、うとぅいむち(おもてなし)の心についてご教授いただきました。
平成29年2月28日、第3回ブランド会議では、三線製作店のアンケート調査を実施し、その結果を報告。また、各演奏団体との連携の一環として、三線組合ホームページ上で演奏団体の紹介や教室紹介をスタート。さらに、宮古織物事業協同組合の視察結果を報告。最後に琉球大学の谷口委員に黒檀の現状に関する調査結果をご報告いただき、それに関連して平田委員から三線の未来に関するご助言をいただきました。以上、昨年度からの総括といたします。
今年度は、来年5月に伝統的工芸品の指定に関する書類の提出を目指し、具体的な取り組みを展開していきたいと考えております。はじめに、6月16日に沖縄県立芸術大学学長室にて包括協定調印式を行ったので、比嘉康春学長からお言葉を頂戴したいと思います。

比嘉 康春
今回の協定については、この普及ブランド化委員会が立ち上がった時から、芸能の根幹であると共に、大事な伝統的工芸品である三線のブランド化に、県立芸大全学をあげて協力したいと考えていました。調印式を終え、今後様々な形で三線の魅力を発信するお手伝いができるのではないかと期待しております。

仲嶺 幹
次に、演奏団体紹介について報告いたします。現在4団体の紹介ページを開設済みで、残りの団体も順次紹介予定です。全ての団体紹介ページが完成した後は、各団体の教室の紹介やイベントの紹介を進めて行きたいと思います。
最後に、昨年から引き続き行っているアンケート調査について、今年度は販売店を中心にアンケート調査を予定しております。三線の棹が国産なのか、海外産なのか。平均価格や販売状況の推移、客層なども調査したいと考えています。ネット販売のみの店舗も少なくない為、対面・電話それぞれのアンケートを並行して実施する予定です。
現時点で、沖縄県内の三線販売店が那覇56軒、北部3軒、中部49軒、南部21軒、離島21軒、合計150店舗と製作店29店舗のおよそ5倍となっています。また、沖縄県外では、東京6軒、大阪6軒、神奈川4軒と、人口が多く沖縄県人も多い地域が大半を占めています。その他、愛知、鹿児島、京都、兵庫に各2軒、群馬、埼玉、千葉、長野、奈良、三重に各1軒、合計30店舗を確認。海外に関しては、「ロサンゼルスとハワイに個人で三線小物を販売している人がいる」、「ロサンゼルスの沖縄県人会のショップで三線を買った人がいる」などの情報があります。曖昧な情報が多い為、今後も調査を続けていきたいと思います。

司会
事務局からの報告は以上です。何か質問はございますか。大城委員お願いいたします。

大城 學
三線販売店の分布と店舗数に関して、離島とはどこを指しているのでしょうか。

仲嶺 幹
宮古、久米島に1店舗。石垣島に4店舗。電話帳とインターネットで調査を実施している為、そこから漏れている店舗もあると思われます。

鈴木 修司
今後三線をブランド化するにあたって、販売する側とどのように連携していくかが重要です。販売店が商売上仕方なく海外産の三線を扱っているのか、もしくは産地は気にしないという認識なのか、実際に購入する消費者はどのような認識を持っているのか、せっかくアンケートを実施するのならそういった部分を調査できれば良いと思います。

仲嶺 幹
質問項目の中に取り入れたいと思います。

比嘉 康春
いろんな情報というと、三線の製作、販売店の情報が多いが、演奏団体が多く存在するのだから、その会員が県内産、県外産どちらの三線を利用しているのか、もしくは小・中学校などの教育機関ではどのような三線が使用されているのか、そういったアンケート調査も実施できたら良いと思います。

司会
他に何かございませんでしょうか。平田委員お願いします。

平田 大一
私はホームページの内容をいかに精査するかによって三線を普及する大きな力になると考えます。
先週、琉球大学の21世紀フォーラムの中でクルチの取り組みを含めて谷口先生、宮沢さん、仲嶺さん、私で話をしました。その中で南部農林高校のクルチ班の3年生がクルチの果実を商品化するという発表が興味深かったです。三線の普及ブランド化の中でも、三線の棹だけでなく、クルチにフォーカスを当てたサイドストーリーを取り上げていくと、より効果的に魅力を発信できるのではないかと思います。

仲嶺 幹
そういった情報発信にも取り組んでいきたいと思います。

司会
他に何かございませんでしょうか。大工委員お願いいたします。

大工 哲弘
皆様、様々なお話をされているが、私は販売の問題こそが根底にあると思います。やはり売れないと生活ができない。販売とブランド化は非常に密接な関係だと思います。
先ほどの県外の販売店の店舗数ですが、鹿児島というのは奄美大島のことでよいでしょうか。

仲嶺 幹
はい。

大工 哲弘
私は喜界島や奄美大島によく行きますが、そこにも三線の製作・販売をなさっている方が多いので、連携・協力して欲しいと思います。
先日園原先生の講義を聴いて、ウチナーの三線は1500年代に中国から渡り、交流や貿易を経て琉球に、全国に広がったという歴史があります。しかし、最近中国人観光客が三線店には目もくれず、目当ての商品を爆買いする姿を目にする。観光課とも協力して、中国人の祖先が琉球に伝え、伝統的な楽器、三線となっている、それをお土産として購入してはどうかと、販売を生み出すような取り組みができればと思います。

仲嶺 幹
海外への販路開拓も進めて行きたいと思います。
昨年、世界のウチナーンチュ大会でアンケート調査をした際、蛇皮の三線をハワイに持ち帰りたい、またはハワイにある三線を沖縄に持っていきたいが、持ち運びする際はどうしても人工皮の三線になってしまうという話がありました。手続きを踏めば持ち運びできるようになると思うので、ブランド化と同時に取り組んでいきたいです。

比嘉 康春
人工皮の話が出たので、本皮でも破れない方法や技術はあるのでしょうか。

仲嶺 幹
技術開発は常に取り組んでいくべきだと思います。今後、そういった研究もできればと思います。

比嘉 康春
一部では強化張りというものがあるが、それは別の物なのでしょうか。

仲嶺 幹
強化張りは、人工皮を張った上に飾りとして本皮を張る為、本皮とは呼べません。

比嘉 康春
音質は変わりますか。

仲嶺 幹
変わります。一級品でなおかつ切れにくくするには高度な取り組みが必要になると思われます。

司会
宮沢委員が挙手されています。お願いいたします。

宮沢 和史
先日ペルーにライブをしに行った際、カニエテという日本人が初めに降り立った港に行きました。ウチナーンチュもたくさんおり、三線もありましたが、全ての蛇皮が破れてしまっていました。聞けば、もう三線を弾く人もおらず、ウチナーンチュも集まらなくなったといいます。その話を聞いて、その町に人工皮の三線を送ったところ、ウチナーの年寄りたちがまた集まるようになったと聞きました。これをきっかけに、人工の皮にも役割があるのではないかと思うようになったんです。人工の皮、本皮それぞれでいい音を追求するのもいいのかなと。前回会議で、クルチだけではなく、白木やチャーギ、色々な木があってよいのではないかという議論が出ましたが、皮もそうなのではないかと思いました。

大工 哲弘
それは伝統的工芸品としての定義づけに合うのだろうか。

仲嶺 幹
やはり、組織的に伝統を重んじている団体とルール作りや楽器としての役割を吟味し、議論した上で進めていければと思います。

司会
どなたかいらっしゃいませんでしょうか。

大工 哲弘
人工張りの問題だが、30年前にワシントン条約に引っかかるということで、本皮の使用継続を願う署名運動をしたことがあります。蛇皮でないと伝統的な音が共有できないという危機感を持って参加した記憶があります。やはり、人工皮にしようというのではなく、伝統的な空気感や共鳴感を大事にしながら、三線の皮が切れたらまた新しい皮を張る。それが三線屋を育てることにもつながると、そういった連携が必要かと思います。

司会 大城委員お願いいたします。

大城 學
蛇皮がワシントン条約で輸入禁止になっているのはインドニシキヘビです。ビルマニシキヘビとアミメニシキヘビというのは輸出入が禁止されていないと記憶しています。現在沖縄に入っているものの多くはビルマニシキヘビです。
かつて沖縄で蛇を養殖できないかという試みがありました。石垣では実際に養殖の蛇皮を張った三線を確認しましたが、強く張ろうとするとどうしても裂けてしまうということでした。そこで、こどもの国の爬虫類担当者に確認したところ、飼育すると運動をしない為ダニが寄生し、蛇の皮に肉眼では確認できないほどの小さな穴をあけ、そこから皮が裂けてしまうということでした。三線用に実用化するには、蛇を養殖ではなく野生化させる必要があり、現状沖縄県内で実現することは難しいという結論になりました。

大工 哲弘
自然の蛇は傷があって使いにくいとか、養殖のものはどうとか、実際はどうなのでしょうか。

仲嶺 幹
現地調査には至っていませんが、蛇皮の仕入れ業者から話を聞くと、ビルマニシキヘビとアミメニシキヘビはワシントン条約の2種に属している為、養殖に限り輸出国の許可があれば取引できるようです。しかし、ワシントン条約の2種から1種に変更になる可能性もある為、沖縄県の伝統的工芸品の位置づけだけではどうしようもない部分もあります。黒檀に関する部分も含めて、三線の材をしっかり吟味して、未来に三線が作れないという状態にならないよう、50年、100年先を見越した上で断定的な書き方などはしないようにしていこうと思います。

司会
続きまして、琉球大学法文学部教授の大城學委員からお話を伺いたいと思います。

大城 學
三線のことについては、実はわからないことが色々と少なくありません。琉球と中国関係の資料を調べていても、何年に三線が琉球にもたらされたのかという記述は今のところ見当たりません。例えば、1400年の初めに中国から琉球に伝来したとしても、次に三線に関する記録が出てくるのは1500年代です。この100年間の空白が存在するために、三線の歴史は非常にわかりにくくなっております。
三線は沖縄の人々にとって、単なる楽器として以上の存在感があります。沖縄の人々の心を支える信仰のような存在として三線があるのではないかと私は思います。今日は三線と沖縄の人々にまつわる話を紹介したいと思います。
三線には家宝としての顔と楽器としての顔があります。沖縄の人々は三線を演奏して自らの心情を表現してきました。家宝としての三線の中でも、沖縄の人々は棹をことのほか大事にしています。例えば沖縄県有形文化財に指定された20挺のうちの1挺の棹を絹の布で丁寧に包んで、四、五百万円の耐火金庫に保管している方がいらっしゃいます。決していい保存方法ではありませんが、「先祖代々の棹であるから、私の代でもしものことがあったらご先祖様にお詫びのしようもない」と、持ち主はおっしゃっています。
沖縄戦を生き抜き、家宝となった三線もあります。昭和20年、沖縄本島南部は戦禍が激しくなり、与那原町で開業医をしていたNさん一家はヤンバルに疎開する為、家財や医療器具と一緒に三線もリヤカーに詰め込みました。道中、荷物を少しずつ処分することになり、最後に注射器と三線が残りましたが、Nさんは迷わず注射器を捨てたそうです。その三線は現在息子さんの手で大切に保管されています。また、石垣島のYさん一家は戦時中、台湾に疎開することになりました。荷造りの際、Y家の祖父が「三線は持って行かなくてもよい。もし台湾行の船が沈んだら、三線も海底に沈んでしまう。三線は先祖代々のものであるから、なくしてはいかん」と言った為、結局新聞紙に包んで先祖の墓に収めたそうです。終戦後、早速墓を開けたところ、三線は無事でした。この三線はY家の家宝として今でも大事に保管されています。
海外に行っても、三線を演奏されている3世、4世のウチナーンチュの方々がいらっしゃいます。生活が苦しかった時代、喜びにつけ、悲しみにつけ、三線の音色を聴くことによって奮い立たされるという経験をした話をうかがうことができました。沖縄の新民謡に金字塔をうちたてた譜久原朝喜の終戦初期の作品に『懐かしき故郷』があります。戦後、沖縄と本土との往来が自由にできなくなり、互いに安否を気遣いながら生活を送っていた頃の作品です。この民謡を兵庫県の尼崎で歌ったら、会場の沖縄県人会の皆さんは涙滂沱なみだぼうだであったといいます。やはり、『屋嘉節』や『懐かしき故郷』など、戦後の社会情勢が混乱したときにウチナーンチュの心の支えになった音楽といえるでしょう。
名器と称される三線があります。楽器としての名器とはもちろん優れた音色を出すものです。沖縄県指定有形文化財になっている志多伯開鐘シタハクケージョーは、沖縄本島南部の東風平町志多伯で奏でていたら、その音色が首里城まで届き、それが後日王府に取り立てられて開鐘の名を頂いたという言い伝えがあります。志多伯開鐘だけでなく、離島を含む沖縄各地でこのような良い音色の三線の言い伝えが残っていいます。
沖縄ではゆりかごから墓場まで人世の節目に三線は欠かせないものだと言われています。沖縄県立図書館紀要(創刊号)の『三線の歴史と文化』という論文を執筆し、これは間違いだと思いました。沖縄の赤ちゃんはゆりかごの前、母親の胎内にいる時から三線の音色を聴いています。そして、墓に入った後も三十三年忌までしっかり三線の音色を聞かせます。
三線は沖縄の生活に密着したものだといえます。

司会
続きまして、ゆいまーる沖縄代表取締役の鈴木委員から、工芸品全般の現状、課題への取り組みについての発表がございます。

鈴木 修司
私たちゆいまーる沖縄は、沖縄の工芸品を扱って29年目になります。琉球ガラスや染め物、織物を工房から仕入れ、販売しています。県内外200か所ほど取引先があり、工芸品の流通や企画を行っています。昨年沖縄県立芸大とコラボしたブランドを作るなど、販売だけでなく、商品開発や工房運営事業、工房運営セミナーの開催などにも取り組んでいます。
伝産法の中に文化、技術、技法を保護・保存することのみを目的とせず、伝統的工芸品の産業を産業活動として維持・発展することに主案を置き、支援を行うという内容の文言があります。伝統や文化は大事ですが、それらをどうやって産業化するかが大きなポイントになります。
沖縄の工芸品の生産額は昭和58年頃がピークで、その後どんどん売り上げが落ちています。現在、全盛期に比べ織物43%、紅型48%、漆に至っては15%と、全体で85%も売り上げが落ちています。陶器と琉球ガラスに関しては、観光市場の波に乗って回復し、織物は平成23年に知花花織が伝産指定を受けたことで回復をみせ、芭蕉もその後回復しつつあります。
全国の伝統工芸を見ても、ピーク時の7割以上の減少を見せています。沖縄県は全国に比べると減少率は少ないですが、伝統工芸という分野は衰退産業であるという認識を持つことが重要です。また、現在の沖縄工業界は、織物にしろ、焼き物、ガラスも全て需要に供給が追い付いていません。今、全国的に手仕事が注目を集めており、その中でも沖縄は注目されています。しかし、工房は減少し、職人も不足しています。稼ぐ技術が身につくまでに時間とコストがかかり、労働に対して収入が少なく、社会保障もない為、ダブルワークをする人が多い。結婚、出産などを機に続けられなくなり、技術が身につく前に辞める人も多い。このような悪循環の為、若い職人が育たず、世代交代ができなくなっています。さらに、原材料の確保も非常に困難になりつつあり、伝統工芸業界全体で深刻な問題となっています。三線業界の問題も、工芸業界全体の課題と構造がよく似ています。そのため、ブランドの構築と工房運営の改善、そして流通の仕組みを整えるといった対策をしていく必要があります。
私たちゆいまーるでは、ブランドの構築により価値を高め、仕入れ価格を高くするという取り組みを行っています。このブランド化を図るうえで重要なのは、どこに売らないかという点です。どこにでも出してしまうと価値が下がる為、例えば三線組合で言うなら、どこにどういう三線を流通させていくのかが重要な取り組みになると思われます。また、工房運営に関しても、どんぶり勘定ではなく、明確な数字で運営を行っていくことで、弟子への給料や工房の利益が明らかになります。現在、こういった運営ができていない工房が非常に多い為、損益計算を作成し、しっかりと工房運営をしていくことが重要です。さらに、流通の仕組みを構築していくことも重要です。
今後、文化の力がますます注目される世の中になると思われます。文化と産業のバランスのとり方が工芸業界にとっても、沖縄県にとっても重要なテーマになるでしょう。

司会
鈴木委員、ありがとうございました。谷口委員、何か発言はございますか。

谷口 真吾
大城先生と鈴木先生のお話、大変興味深かったです。
産業文化を含めて樹木の研究をしてきた人間として、私は最近フクギがなぜこんなに沖縄に浸透しているのかについて興味があります。一番初めの記録によると、防虫効果のある染料として中国の福建からフクギの樹皮だけが輸入され、その後琉球王朝の三司官だった蔡温が種をもたらし、宮古、八重山で育てたものを本島で使っていたようです。同じような固さで防虫効果もあるイスノキという在来の木があるのに、なぜ蔡温はフクギの使用を奨励したのでしょうか。
同様のことが黒檀でも考えられます。例えば在来のイスノキやマメ科の木など、固い木が入手できたにも関わらず、なぜ黒檀が伝統工芸の中で選ばれたのか。海外から来たもっと固い木に取って代わられなかったのはなぜか。それを追求していくと、伝産の申請書の中にもっと黒檀の魅力として反映させられるのではないかと考えております。
そういったことを整理して、科学的に検証してみたいと思いながら先生方の話を聞かせていただきました。大変勉強になりました。ありがとうございました。

司会
ありがとうございました。本日はオブザーバーとして那覇市役所の下地課長、沖縄総合事務局の玉城課長にご参加いただいております。お話をおうかがいできますでしょうか。

那覇市で伝統的工芸品の支援を所管しております、商工農水課で課長を務める下地です。三線の普及とブランド化に向けた取り組み、または伝統的工芸品の指定に向けた取り組みにつきまして、伝統的工芸品の産業振興のみならず、楽器という特性上文化、芸能の振興につながると期待しております。様々な可能性を秘めた取り組みとして引き続き支援策を考えたいと思います。

沖縄総合事務局経済産業部地域経済課の玉城です。いよいよ、国指定に向けて動かれているということで、国の機関としてスムーズに手続きが行えるよう、お手伝いさせていただきたいと思います。指定の申し出ということで、申出書の提出までが約4か月程度かかっているようです。事前準備としての調査が重要になる為、こちらでも内容を色々確認させていただいて、お手伝いしていきたいと思います。

司会
では、平成29年度県産三線普及ブランド化委員会、これにて閉会いたします。