1.委員発言(発言順、敬称略)
照喜名 朝一「三線保存育成会では30年に渡り、三線鑑定などの活動を通じて文化継承を行ってきた。最近では育成会と三線組合とで連携を取りながら活動を行えるようになるなど、とても良い方向に流れている。いままでもブランド化について話題には上るが、なかなか具体的な行動がとられていなかった。近年、沖縄人の居るところに三線有りと言えるくらい海外にも三線文化は広く伝わり、そのおかげで海外の人々も三線に興味をもってくれるようになってきた。海外に住んでいるウチナーンチュの子弟たちとの交流にも三線は切っても切り離せないほど重要になっている。この委員会で皆さんの良い意見を持ち寄ってブランド化が促進されることを願っている。」
園原 謙「博物館では平成27年度から『琉球王国文化遺産集積・再興事業』を行っており、その中で楽器である三線を文化財として扱ってきたのは沖縄の貴重な特質だと考える。琉球政府時代のものでは11挺が特別重要文化財または重要文化財として指定され、復帰後9挺追加し、現在20挺になる。その中にはいわゆる開鐘と言われる指定文化財も含まれ、このことは我々が『開鐘』というブランド化を持ってるということだと思う。王国時代の三線だけでなく、現代の職人の作る三線もしっかりとブランド化し位置づけていくことを応援したい。」
大城 學「三線を調査する中で強く感じたことは、三線は美術工芸品としての価値があるだけでなく、それ以上に沖縄の人々の心そのものだと言えるのではないかということ。昭和の終わりごろから棹材も蛇皮も海外からの輸入で、原材料については危機的な状態があった。沖縄で棹を作って組み立てているだけでなく、琉球黒檀をしっかりと植え、ヘビも養殖しなければという話すらあり、海外産の三線が大量にあふれていることに当時の文化庁も非常に危惧していた。この度の県産三線ブランド化の運動は県をあげて、継続してやっていかなければならない。このことを多くの人たちに広めるには、組合のHPでの告知だけではなく製作者の仕事などを新聞社に取り上げてもらったり、テレビ等で『その技を極める』というような番組ができても面白いのではないか。」
宮沢 和史「『島唄』を発表したのが25年ほど前で、職人業界の変化の時期と同時期だと話を聞いていて気づいた。発表当初は『おかげで三線が知られるようになって良かった。』と感謝の声も多かったが、三線が広まるきっかけと同時に、海外産の大量流入によって、今の県内の職人さんの抱えている課題を招いたのではと考えると複雑な思いがしている。沖縄の唄は苦しい時もずっと唄い継がれてきている琉球の歴史そのものかもしれないと思っている。もう一度三線の価値について見つめ直すことはとても大切。この場に参加していることに心がドキドキ高まっている。」
平田 大一「クルチの保全について働きかけた時に行政の縦割りの問題で壁を感じていた。三線に関わる問題を横のつながりで一緒に考えていけるこの会の大きな可能性に期待している。宮沢さんとの出会いがあり、読谷村が2008年から始めたクルチの植林活動を引き継ぎ、『くるちの杜100年プロジェクト』を2012年に立ち上げた。クルチを守るには他の農林・農業の考えと同じで、一つの森だけではなく沖縄全体でやっていく真の意味での森のプロジェクトが今後必要になると考えている。100年以上かかると考えられる育林事業なので、場所だけでなく世代間の広がりも含め、皆でバトンリレーしていかなければと思う。」
仲嶺 伸吾(県立芸大学長代理)「三線のブランド化については遅いと感じている。三線はもともと王府の貝摺奉行で三線の役職もあり、王朝時代を経て大事にされてきた。大和では刀を床の間に飾るように、琉球では三線を飾ってきたのは、隣の国々と仲良く関係性を作ってきた先人たちの心を感じさせるものである。県立芸大で古典音楽実技の指導をしている中、三線について深く研究するような生徒がなかなか出ない現状がある。ブランド化が進むことで、三線への理解が深まるだけでなく琉球の歴史文化についても興味が持てるのではと思っている。ブランド化により後継者の育成など文化継承も促進されるようになって欲しいと思っている。」
鈴木 修司「ゆいまーる沖縄は、沖縄の伝統工芸の企画と流通をしている会社で創業29年目になる。以前、琉球ガラスも県産が約20%で海外製が約80%という時期もあり、さらには職人への待遇が非常に低いという課題があった。その他の工芸産地も非常に厳しい現状で、流通の根本が変わらないので、工芸ブームと言われる昨今でも作り手の報酬は改善されてきていない。ブランド化により待遇をしっかり改善されるようにし、作り手も流通に参加できるような構造も作ってはどうかと思っている。」
谷口 真吾「造林学の専門で杉・ヒノキの造林、山づくりをやってきた。温帯の造林・林業はある程度科学的に技術が確立しているが、亜熱帯(沖縄)では、あまり確立されていない為、それに取り組んでいる。沖縄が日本に復帰後、黒檀もかなりの数植えられている。クルチは成長がとても遅く、復帰2年後に植えられたものが42年目の今年測定すると太さが直径14センチにしかなっていなかった。造林学においては商業的な観点から成長の速いものの研究は進んできたが、成長の遅いものは管理されてこなかった。これは大きな反省点だと感じている。質の高い県産クルチで三線を生産していくために、まず地域にどの程度育っている黒檀が残っているのか、などの調査とデータベースを作ることで貢献できると考えている。農林事業の中で少しづつでもクルチを植栽していき、亜熱帯の研究を体系化できればと考えている。」
知名 定男「三線の価値を決めるのは難しい。聞いた話では30ドルの三線を名人が1週間ほど弾いた後、売る時には60ドルになったという。ウヤファーフジから代々受け継いだ三線が自分にとっては一番など、人によって価値が違うと思う。私の家にも代々受け継がれた三線があるが、文化財の開鐘と交換しようと言われても換えることはない。この委員会で三線の価値とは? 材質なのか、形なのか、年代なのか、いろいろあると思うので議論し、ブランド化に向けて発信していきたいと強く思っている。100年後に植えたクルチにちゃんと芯が入っているのかなど、課題も出てくると思うが、この会でしっかりと議論し合い、よい方向にいけばと期待している。」
大工 哲弘「私も三線のブランド化については遅すぎるくらいと考えている。今は野菜でも生産農家の顔写真が付き、何月何日誰々が作りましたと売られている。三線も作り手が見える安心感のようなものをブランドにしていけばと思う。過去に八重山のアンガマーが大ブームになったが、台湾でコピー商品が出て一気にダメになった。琉球ガラスも同じようにベトナム生産の問題がある。今回の三線のブランド化ではそのような問題をクリアできればと思っている。80年代までは三線がゴミ捨て場に捨てられるということはなかったが、90年代に入り安い三線が出回るようになるとギターと同じ運命でゴミ捨て場でも見られるようになった。沖縄の心としてあった三線がそうなってしまうのはとても心が痛い。しっかりした三線を普及することで、そのようなことが無くなればと思っている。弾き手の立場からもこの会で一緒に考えていきたいと思っている。」
2.オブザーバー発言(発言順、敬称略)
大城 敦史(内閣府沖縄総合事務局 経済産業部地域経済課課長補佐)「伝統的工芸品として経済産業大臣の指定を受けるためには、
1)工芸品であること
2)主として日常生活の用に供されるものであること
3)製造過程の主要部分が手工業的であること
4)伝統的技術又は技法により製造されるものであること
5)伝統的に使用されてきた原材料が主たる原材料として用いられ、製造されるものであること
6)一定の地域において少なくない数の者が製造を行っていること
以上の6つの要件を満たす必要がある。
ここで、論点になる『伝統的技術・技法』及び『伝統的に使用されてきた原材料』にある『伝統的』という定義であるが、これは100年以上の歴史を有することが原則となっている。
内閣府沖縄総合事務局として、指定を目指す三線組合の取組を注目している。今回の調査研究事業が指定要件のエビデンス等を固める基礎調査となるよう期待しているし、当局としても情報提供等バックアップしていきたい。
また、全国的に見て、伝統的工芸品は苦戦している現状がある。伝統的工芸品は美術的価値を評価しているのではなく、生活に豊かさと潤いを与える手づくりの産業の振興を通して地域経済の発展に寄与することを目的としている。よって、手づくりの付加価値をきちんとマーケットに評価してもらい、流通する好循環を生み出す地域ブランド戦略が重要であり、伝統的工芸品の指定自体がゴールではない。マーケットという点では、今後、2020東京オリパラを始め増加が見込まれるインバ ウンド等、新たな需要、流通の可能性を意識して検討を進めて欲しい。」
高宮 修一(那覇市経済観光部商工農水課 副参事)「国指定に向けた活動とブランド化へ向けてこのような会が開かれたことは、とても素晴らしい取り組みだと考える。伝統工芸産業の振興、文化芸能の発展、さらには地域ブランドの向上にもつながるので、那覇市としても全面的に応援したいと思っている。」
平良 真(沖縄県商工労働部ものづくり振興課 産業・ファッション班班長)「県としては工芸のブランド化を強化する事業を進めるにあたり、このような会が立ち上がったことは本当に良かったと思っている。国指定をゴールとするのでなく、その先の発展も目指し進んでいける骨のある事業に繋がっていくのではないかと感じている。県の支援は主に財政的なものになるが、しっかりとサポートさせていただきたいと考える。」