三線を愛してやまなかった沖縄の人々。 今も伝わる逸話の数々からは、三線が楽器としての価値を超え、 沖縄の文化の中で特別な意味を持って人々と関わってきたことがうかがえます。
名器の音色は海を越えて!?
昔、本部備瀬(モトブビセ)に住むある男が名器と呼ばれる三線を持って毛遊び(モーアシビ)(若者が野原で歌い、踊り遊ぶ夜会)に出掛けたところ、三線を取り替えられてしまいました。残念に思っていると3kmも離れた伊江島の方向から海を越え、聞き覚えのある三線の音色が聞こえてきました。早速、島にわたり方々訪ね歩いたところ、「あまりにもその三線の音色が良いので、つい悪気をおこして拝借してしまった」という人がおり、詫びて返してくれました。
豊かさのシンボルとして
昔の沖縄において高価な蛇皮張りの三線を持っていることは、その家庭が裕福だということの象徴でもありました。門扉がなく、風通しのため雨戸をあけておくことも多かった琉球家屋。屋敷の床の間に三線を飾ることは、外を歩く人や招き入れたお客に自らのステータスを示すことを意味していました。古い文献には「米30俵と交換」「馬1頭と交換」「田畑と交換」など、沖縄の人々の三線への強い愛着を感じさせられる記述も多く残されています。
工芸品としての魅力
三線の魅力を語る時、美術工芸品としての価値も忘れてはいけない大切な要素の一つです。
熱心な三線愛好家の中には、三線のその美しい形状に対してまるで女性を愛でるように「ちゅらかーぎー(美人)」と形容する人も少なくありません。三線を漆塗りの箱に納め「飾り三線」と称し、たとえ弾けなくても持っていることに意味があったとされている時代もありました。また、床の間に三線2挺を飾る「夫婦三線(ミートゥサンシン)」を持つ事は縁起が良いとされています。
参考文献/『三線のはなし』宜保榮治郎 著