琉球の歴史と文化に育まれた伝統楽器。 600年の永きにわたって人々に寄り添い、 心の音を奏で続けてきた三線の足跡をたどってみましょう。
三線の伝来
沖縄はかつて琉球と呼ばれていました。東シナ海の中心に位置していた琉球列島はその地理的特性を生かし、東アジア周辺の国々と古くから盛んに交易を行っていました。独立国家として栄えていた琉球王国に14世紀末、中国福建の閩江(ビンコウ)下流の住民である閩人(ビンジン)三十六姓によって三線の原型となる三絃(サンスェン)が持ち込まれました。15世紀になると当時の王・尚真(ショウシン)により士族の教養の一つとして奨励されるようになりました。その後琉球から大和(堺)に伝えられ、三味線として普及していったと言われています。
琉球での発展
琉球王国は17世紀初頭、三線を宮廷楽器として正式に採用し、歓待などの行事に使用するようになりました。同時に、三線製作者である三線打や、三線打を管轄する役人・三線主取(サンシンヌシドゥイ)などの役職を設けることで、卓越した名工を育て、優れた楽器を生み出してきました。この頃から琉球では組踊(クミウドゥイ)などに代表される歌舞芸能が盛んになり、三線も宮廷音楽における主要な楽器としての地位を確立することになりました。
近代における普及
三線の担い手であった士族たちは、1879年の廃藩置県により、その地位を失うことになりました。地方に下った士族たちから、三線は庶民へと伝わり、やがて村の祭事や村芝居などで用いられるようになり、広く普及していきました。
琉球の宝として今も
1945年、激しい沖縄戦により多くの尊い人命と有形無形の文化財が失われました。琉球政府時代の1955年、名器とされていた三線3挺がいち早く特別重要文化財に、1958年までにその他の名器8挺も重要文化財として指定され、1972年の本土復帰に伴い沖縄県指定有形文化財になりました。1995年にはさらに9挺が追加され、現在では20挺の三線が工芸品として指定されています。そして2012年、三線は26番目の沖縄県伝統工芸製品に指定されました。今日三線は、世界遺産に登録された組踊や琉球古典音楽、琉球歌劇や民謡、民俗芸能、ポップスなど様々な音楽シーンで用いられ、その素朴な音色は多くの人々を魅了しています。