開鐘とは

琉球王国時代の開鐘(ケージョー)にまつわる興味深いエピソードが残されています。「ある時、首里王府の別邸だった御茶屋御殿(ウチャヤウドゥン)で名工・真壁里之子(マカビサトゥヌシ)の作った三線を集めて弾きくらべをした。大抵の物は夜が更けるにつれ音色が悪くなっていったが、その一方で暁を告げる開静鐘(ケージョーガニ)の音が響きわたる時間になっても、ますます美しい音を奏でた三線が五挺残った。この五挺は真壁作の優秀なものとし、『五開鐘』と呼ばれるようになった」。五開鐘の中でも筆頭とされるのが王家所有の盛嶋開鐘です。沖縄戦で一時は失われたと思われていましたが、幸運にも戦禍を免れ、1982年には沖縄県に寄贈され、現在は沖縄県立博物館・美術館に所蔵されています。
参考文献/『沖縄の三線』沖縄県教育委員会1992年(四頁下段参照)、『琉球三線の銘器一覧表』

県指定有形文化財の開鐘

盛嶋開鐘 附胴(ムリシマ ケージョー)、翁長開鐘(ヲゥナガ ケージョー)、志多伯開鐘(シタファク ケージョー)、湧川開鐘(ワクガー ケージョー)、富盛開鐘 附胴(トゥムイ ケージョー)
※()内は首里言葉です。

盛嶋開鐘 附胴/沖縄県立博物館・美術館所蔵

盛嶋開鐘 附胴/沖縄県立博物館・美術館所蔵