第7回県産三線ブランド化委員会 議事録要旨

第7回県産三線普及ブランド化委員会議事録要旨

 

園原 謙
伝統的工芸品を指定するには5つの要件を満たす必要があります。
1番目は、「主として日常生活の用に供されるものであること」、2番目は、「その製造過程の主要部分が手工業的であること」、3番目は、「伝統的な技術又は技法(百年以上の歴史を有す)により製造されるものであること」、4番目は、「伝統的に使用されてきた原材料(百年以上の歴史を有す)が主たる原材料として用いられ、製造されるものであること」、最後に、5番目に「一定の地域において少なくない者がその製造を行い、又はその製造に従事しているものであること。日本人の生活に密着し、日常生活で使用されるもの」です。順追って説明したいと思います。
三線の歴史を通して、1番目を証明したいと思います。三線は中国から伝来し、琉球王国独自の形態的な変容(棹が短くなり、胴が大きくなる)を経て、王国の歓待芸能を支える主要楽器として用いられてきました。また、三線は、王国時代は士族階級の中で学芸の一つとして奨励されました。廃藩置県後、旧士族層が那覇などで芸能活動によって生計をたてたり、地方で農業に従事したりして、平民・百姓にも三線楽が伝播していきました。戦後、琉球古典音楽・民謡などが隆盛し、今日、冠婚祭や個人的嗜好で使用されています。三線の持つ独特で素朴な音色は、多くの人々を魅了し、三線を用いた器楽は日常生活に根ざしています。以上のことから、三線はきわめて身近で、日常生活の用に供される工芸品であることがわかります。
第2番目のその製造過程が手工業であることは、荒割アラワチ以降は、ノミを主な道具を用いて削り出して整形をしていきます。トゥーイ取り、糸蔵取り、チーガの蛇皮張りでありクサビ張りは、まさに手工業です。第3番目の伝統的な技術、技法により製造されるものであることは、楽器としての音を出す仕組みに係る技術です。棹に係る部分で、トゥーイ取り、爪裏取りチミウラドゥイ、チーガに係る部分でクサビ張りがありますので後で紹介します。
それから4番目が、伝統で使用されていく原材料、もう500年以上の歴史有するっていうことで、現在も用いられているものであること。それから5番目が、一定の地域において少なくない者がその製造を行う、またはその製造に従事している者であることですね。日本人の生活に密着して日常生活で使用されているもので、これは、他の伝統的工芸品に比べると三線は、ダントツで日常生活に供されていると思います。
一番重要なところは3番と4番です。その点を、詳細にお話をしたいと思います。まず、それぞれの要件をクリアしないといけないということです。「三線受容の歴史」と日常生活に不可欠な工芸品であるということはすでにお話をしました。王国時代から三線は沖縄に伝来して、三線を受容した歴史があるわけですね。1719年、例えば玉城朝薫が首里城の北殿の特設ステージを設けて組踊を上演するわけですけど、あれから299年。来年でちょうど300年を迎えるわけです。王国時代の歓待芸能として徐葆光ジョホコウの琉球史録の中でも紹介されているように、王国時代からそれがあったわけです。王国時代は、(三線は)士族の学芸の一つとして奨励をされてきました。ここは、大和の芸能文化とはちょっと一線を画すのかなというふうに思います。要するに、上級士族が琉球においては三線を弾くことができた。参考までに大和芸能においては、「河原者」が実演したと言われるように、わりと貧しい下級の人たちが芸能に従事するというのが一般的でありますので、そこがちょっと大和文化とは違うところだと思います。それで3番目の要件ですが、廃藩置県以降は、もともと士族を中心とした学芸であったものが、王国が解体することに伴って、芸能活動が地方に伝播をしていくということで一般の人々、当時は平民、百姓というふうに言われていましたけれども、そういう人たちにも三線楽が伝播していったと思われます。戦後、琉球古典音楽・民謡など流行、隆盛をして、冠婚葬祭の葬は抜けていますけども、さすがに葬式では三十三年忌ぐらいですかね、三線を使うのは。で葬式の葬は抜かしましたけども。冠婚祭では、個人的志向も含めて三線楽が三線の主要を押さえていると。

三線の持つ音色は楽器ですので、工芸品ではありますけども楽器としての特性を持っています。それが多くの人々を魅了して三線を用いた器楽というのはまさに日常生活に根ざしています。以上のことから、三線は極めて身近で日常生活によく供されている工芸品であるということが証明されると思います。(三線演奏のシーンのスライドを示しながら)例えば、当館が所蔵している琉球王国時代の三線演奏の舞楽の図。それらには、三線弾いている場面が右側にみえます。子どもたちの三線教室だとか、博物館でもカンカラ三線ですけども三線の原理的なものを学ぶ三線づくりとかを行いました。それから4年前に行いました三線展に伴って開催した三線の製作コンテストの出品状況も展示しています。日常的に民謡酒場でも毎日三線が弾かれているということですね。
(スライドを提示しながら、)三線の構成部位につきましては、大きく棹とチーガがあります(青く囲った部分がそうですね)。それから部品としてウマとかチルとかカラクイというのがございます。
三線には、伝統的な七つの型があります。左から古い型と言われています南風原フェーバラー知念大工チニンデーク久場春殿クバシュンドゥン久葉の骨クバヌフニー真壁マカビ、平仲、与那城ヨナグシク型と、大きく七つの型があるといわれていました。三線の略史を紹介しますと、もともと14世紀に「サン・シェン」という言葉で示されたものは、現在の三線と比べるとちょっと長めの三線がありました。それが伝播したと思われます。この三線は、低い音しか出ないですね。

三線は、御座楽ウザガクとかで使われているいわゆるサン・シェンっていうのがですね、それが伝播していって15世紀、芸能文化の隆盛によって三線楽が士族の学芸として奨励されていきます。16世紀には、この琉球から中国から渡ってきた三線が堺のほうに伝来をして三味線。われわれ、三線と三味線という言葉を、厳密に規程をしているので、三線が現在、三味線といいますね。『球陽』の中では17世紀に三線打というふうに三線の職名、三線という言葉が初めて出てきます。あと由来記の中には三線の型の古さといいますかね、南風原フェーバラーとか知念チニンとかという名前が出てきております。先ほど紹介しましたように18世紀のはじめに朝薫によって組踊が初演されております。
1856年、江戸与那エドユナーのことを書いていますけども、この江戸与那エドユナーという三線ですが、奉書書きに1856年と記名があるので1856年に薩摩に献上されていると。これが渡り渡って今現在博物館が所蔵しております。1929年ですね。これは昭和でいうと17年ぐらいですかね。あ、違うな45だから、昭和でいうと何年だっけ。戦前ですね。45から29引いたらいくらだ。昭和4年。ごめんなさい。昭和4年に、実は日本名宝展覧会というのがございまして、これはとても画期的な展覧会で。当時は東京都とは言ってなくて、東京府と呼んでいましたけども。今の大阪府というように東京府の美術館で、諸大名あるいは公爵家のお宝展ということで名宝展覧会というのを行いました。その際、旧琉球王家である尚家もいわゆる公爵家ですので、今、国宝に指定されている玉冠とか皮弁服とかそういうものを出しているんですけど。ここでちょっと注目いただきたいのは、実は三線を2挺出しております。あとで見にくい写真がありますけど紹介したいと思います。それから今回、経産省の伝統的工芸品ですけども、いち早く実は琉球政府時代に三線は工芸品として指定文化財になっております。当時は琉球政府ですので、政府自体が一つの文化財保護法というのをもっておりました。琉球政府の文化財保護法は昭和29年に制定されるんですけども、基本的には昭和25年に制定された日本の文化財保護法を模して作られることになりますが、指定の内容については非常に特異性を持っていまして、三線を指定しているんですね。当時は三線と言わなくて三味線という言葉を使っていたんですけども、11挺の三味線を特別重要文化財、または重要文化財に指定をしております。
これが復帰に伴って、本来ならば重要文化財あるいは特別重要文化財なので国宝にならないと、あるいはせめて重要文化財にならないといけないんですけども、当時文化庁は、三線を一つの指定文化財としてとらえる考え方がまだ熟しておりませんで、そこまではまだ勉強不足ということで国指定にはならなかったという経緯がございます。結局のところ県指定に甘んじているわけございます。現在もそうですね、94年再び三線の11挺に加えて、実はこの中には今、当館が所蔵しているんですけども筆頭開鐘ケージョーと言われる盛嶋開鐘ムリシマケージョーがこの中に含まれてございません。なぜかというと昭和30年から33年、つまり1955年から58年の間に、実は盛嶋開鐘ムリシマケージョーは尚家の三線ですけども、どこに行ったか行方が分からなかった。戦後の混乱の中で所在が不明であったっていうのが主たる原因であります。この94年の指定に私は直接関わりました。担当として調査を行いました。4カ年で文化庁の補助事業もらいまして612挺の三線を、県内、いわゆる悉皆的な調査を行いました。その中に当然、尚家が昭和62年に買い戻しをして当館に寄贈してくださいましたので、当館が持っている盛嶋開鐘ムリシマケージョーいわゆる筆頭開鐘ケージョーといわれる盛嶋開鐘ムリシマケージョーをこの94年の指定の際には入りました。さらに94年には、従来文化財の指定名称として三味線と言われた名称を三線という名称に改めました。ですから琉球政府時代のものも含めてその後三味線は三線というふうに定義されて呼ばれるようになっております。
2010年に県の伝統工芸製品に三線は指定をされておりまして、2016年に組合のほうで電話アンケート、これはブランド委員会でもご報告なされたと思いますけども。やりましたなら、現在沖縄県内には三線保有率は0.79ですね。約0.8だからやがて一人に1本というような計算になりますけども。成人男子、成人の方ですね。そうすると所有率が82万挺あるということで、たぶん圧倒的な数じゃないのかなというように思います。先ほどもちょっとご紹介をした、非常に見えづらい戦前の写真ですけども、日本名寶展(日本めいほうてん)ここに右側のほうに玉冠、王冠があったりしますけど、下のほうに実は2挺の三線が横たわっているんですね。これ『日本名宝物語』っていう読売新聞が出したこの展覧会の図録のようなものですけども、この中に紹介されていまして、「蛇皮線」という言葉で紹介をされております。琉球政府時代の特別重要文化財っていうのは特別に開鐘ケージョーと呼ばれる三線である「翁長ヲゥナガ」、「志多伯シタファク」、「湧河ワクガー」のこの三つが特別重要文化財として指定されています。それ以外に、昭和33年までにいわゆる七つの型といわれるものが全て指定されております。(スライドを変えて)これは平成6年に指定したものですね。今回下から左2番目、三線与那城ヨナグシク型、銘玉城與那タマグシクユナーは、先日、お亡くなりになりましたが島袋正雄先生が所蔵してらっしゃったものです。去年の1月にカジマヤーのお祝いの際に当館にご寄贈いただきました。指定文化財でのご寄贈は初めてだったのかなと思います。
2番目ですが、その製造過程の主要部分が手工業であることということで、棹の製造過程ですね。荒割アラワチ、カンナ、墨付け、中割ナカワチ、切り出し、正面、側面と、この時期で非常にそのものが乾燥しないと後々ねじれたり問題がおきたりするわけですね。その後で削り出しをして爪裏をとって鳩胸を削り出して天、上のほうの細工に入ります。糸蔵を出して、虹、天を整理してカラクイ、でトゥーイ取りと。

あとでちょっと説明しましますけど、「トゥーイ取り」や「爪裏取りチミウラドゥイ」とかあるいは胴製作の「クサビ張り」の三つの技法は伝統的な技法として、今回指定の要件にいたしました。それ以外に、塗りがありますが、下地中塗り、上塗りですね。チーガも荒割アラワチ、木枠、中割ナカワチ、削り出し仕上げをして蛇皮を張ると、ミジノバシをやって型取りをして釘で止めて乾燥させ、スックイとよばれる接着剤を使ってカシガーの縫い付け、カワヌイを行い、チーガをくっつける。クサビ張りをするというような工程なっております。また、ティーガの製造工程がございまして、もともとティーガは、王国時代の三線では、今日いうティーガの部分に鼈甲が張り巡らされたりしています。現在的なものは手を置くということで手掛け(ティーガ)になります。こういうものに使われています。あとカラクイの製造工程。いろいろ種類がございましてカンプーとか菊型とかスイムディとか六角っていうのが名称で呼ばれたりします。糸かけですね、チル。チルは絹糸とテトロン両方。絹糸使うんです。今は絹糸を使わないでしょう。使いますか?

仲嶺 幹
少しは。

園原 謙
少しは使う。先般われわれ三線の展示会をやったときには、王国時代の音の復元ということで絹糸を使った。開鐘ケージョーに全部絹糸を張って音を鳴らして収録をしたということがございます。あとウマの製造工程ですね。あと部当てぃがあって完成ということです。

3番目ですが、伝統的な技術または技法による製造であることということで、三つの伝統的技法をここでは挙げてございます。基本的には音に関わる、まあ楽器ですので音に関わるということでこの三つを挙げております。まずは爪裏取りチミウラドゥイですね。棹と胴との接合部分の微調整。方言ではウトゥダマイとその爪裏チミウラ、微妙に刳ってあるんですね。なぜ密着していなくて刳るのかってよく分かりませんけども、島袋正雄先生とかにお話伺うと、そこに音がたまると。楽器としてそこの部分は非常に重要であるということで爪裏の製作例として綾取りだとか総取りだとか渦巻き取りだとか、角取りだとか平取りというような取り方があります。それから、トゥーイ取りですね。これは微妙に三線は、ちょっと極端に言うならば弓なりにといいますかね、弓なりに弦が少しこの盆面に対して余裕を持てるように加工されています。そこが楽器としての三線の技術の技量の見せどころだと思っておりまして、いい音出すため、あるいは雑音雑味のない音を出すためにトゥーイ取りというのが非常に重要な意味を持つというふうに考えております。それからクサビ張りですね。これは三線の皮にテンションをかける際にクサビを打つのでクサビ張りというふうに言われているんですけども。このクサビの打ち方によって音のテンションが変わってきますので、以前、親泊さんとかそういう方々がクサビ張りの実践をなされてらっしゃいましたので、そこらへんも含めてクサビ張りも入れております。それから、100年以上の技術伝承を有するものということで、代々それを継ぐ人がいたら非常に明確にいわゆる家伝ということで明確に分かるんでしょうけども、実はこのクサビ張りとかを一つの例にしますと、親泊宗康さんから息子さんの宗雄さん。その前に又吉さんですね。又吉三線店。又吉さんが昌功さんまでさかのぼって今日まで108年と。これ右から二つ目、上から二つ目の又吉昌裕というところに昭和25年1950年の『琉球人事興信録』という本の中で又吉昌裕さんを紹介してあります。その当時で150年の又吉三味線店であると、三線店であるということが書かれていたんですけども。実は今回新たな発見がございました。一応こういうかたちで経産省にも出しているんですが、実はもう一つ追加したいんですね。これ参考までにということで、ここの部分を少し追加したんですけども。

実は又吉家っていうのは、その家譜によりますと尚灝王ショウコウオウ時代の楽師であってその功績が認められて、蒙氏もうしという糸数姓から又吉という名前を与えられたというようなことが家譜の中に書かれております。ですから1808年ショウジョという人から数えるとだいたいこれからずっとさかのぼりますので、約200年位の歴史を有することになるのと思っておりますが。これ家譜の実物では現在確認できないので、この辺がちょっと微妙ですね。国に提出する資料ではその部分は割愛します。実はその蒙氏もうし糸数というのは、うちが持っている資料がありまして、実は源河ゲンガウェーキ、これは名護の源河ゲンガというところのウェーキ屋ですね。源河ゲンガウェーキの三線というふうに通称呼んでいるんですけども。実はこの三線のチーガに、咸豊カンポウ3年、咸豊カンポウ3年というのはちょうどペリーが来たころ1853年ですね。ここの右側のほう、ちょっと見えづらいですけど墨書きで蒙氏もうし糸数作というふうに書かれておりますので、うちが持っている最古の資料と、又吉さんが繋がるというのは夢にも思いません。だったらいいなと思っていたんですけど家譜を見たらですね、まさに蒙氏もうし糸数から又吉という名前をいただいたということが書かれているので。実は又吉三味線店、戦前戦後の。で、親泊さんに続く系譜というのは1853年から繋がっているんですね。1808年ぐらいから遡ることができるのではないかなというふうに思っています。4番目、伝統的に使用される原材料ですが、黒檀、イスノキ、カリン。ここでは黒檀が非常に材が限られていますので、カリンとかモクマオウとか紫檀とかそういう県産材を挙げてございます。あとチーガもイヌマキ、カリン、ソウシジュ、クワですね。あと蛇皮ですね。ワシントン条約で規制されておりますけども養殖ものを輸入していると、王国時代も実は中国経由で蛇皮は使われているという記録がございます。だいたい1枚の皮から4挺分ぐらいですかね。表と裏を張りますので約8枚、皮を30センチ四方でとることができるというふうになっています。
それから5番目、一定の地域において作られているんですけども、現在、組合と非組合員に分けてございますけども、沖縄本島北部は、今、製造従事者0ですね。中部が4、1で組合の方が4名、その他製造従事者が1名。南部が圧倒的に多くて、組合員が13名でその他従事者が9名。宮古と八重山。宮古は0ですけど八重山は一人ございます。技術技法の習得状況ということで、先ほどご紹介をしたトゥーイ、爪裏、クサビ張り。特にクサビ張りにおいては、なかなか実践されている方が少ないわけで、今後それを研修等通じて増やさないといけないのかなというふうに考えております。参考までに、指定後、もし仮に今回指定を受けた後の問題がございます。海外産との差別化を図らないといけない。このブランド委員会もこういうデザイン三線だとか、あるいはグッズ開発だとかそういうものも含めて強化、組合員のクオリティーといいますか、三線の内容を強化していかないといけないのかなと思います。

それから県内に多くの三線の製作者がいらっしゃるわけですが、今や沖縄だけの三線ではなくて海外に発信するためにはどうあるべきか、というのが今後の検討課題になるわけです。そこで重要なのは、メンテナンス力ですね。今、東京のわしたショップとかでの相談会とかをやっているようですけども、今年度また札幌や大阪とかでも予定をしていまして、沖縄の三線のいわゆる手技を内外に発信していくことになります。今はまさに、そのようなメンテナンス力が求められるのかなと思います。仮に(伝統的工芸品に)指定された場合、後継者育成が課題になると思います。今現在組合員の方々年配の方々が多い。70代が多いんですかね。それとも60代ですか?

仲嶺 幹
70代。

園原 謙
70代。組合長はじめ70代の方が多いんですが、若い人材も適宜育成をしていかないといけないという課題もございますし、品質のクオリティーを確保するために共同作業所の確保もあったり、その技術の練磨を行うということが求められる研修の充実も図られないといけないと思います。それから技術技法の伝承の仕組みづくりということで、定期的に研修会を行う。また、原材料の確保も問題です。黒檀が一番良質だというふうに王国時代から言われているわけですけども、黒檀材っていうのは使用されると、枯渇する。もちろん今、「クルチの杜100年プロジェクト」などいろんな事業展開行っておりますが100年先まで待てませんので、今、現在どうするのかという課題につきましては代替材の研究調査を行わないといけないということでございますので、やっぱり材を確保していかないといけないと思います。それ以外は関係団体との連携ということで、県や森林組合などとの業務調整。あとニシキヘビも輸入品ですので、安定的な原材料として確保するためにはどうあるべきなのかというのも考えないといけない。さすが沖縄で養殖を行うというわけにはいかないでしょうから、今、使用しているのはベトナム産ですか。そういうものを調達するための手だてをいくつかルートを含めて、今後確保していかないといけないのかなというふうに考えております。以上でございます。(最後のスライドをみせて)ここで音が聞こえるんですけども、今日、照喜名先生がいらっしゃらないですけども、歌三線の音を使っていいですかね。この音源は、盛嶋開鐘ムリシマケージョーで弾いていただいたものです。これ、聞こえます? 糸は絹糸を使っています。柔らかい音でチーガもそんな強く張ってない。5分張りぐらい。

知名 定男
チンダミもそんなに上げてない。

仲嶺 幹
ああ、そうですね。

園原 謙
はい、じゃあ以上で終わります。

司会
ありがとうございます。ここで質疑応答の時間といたしますが、せっかくですので園原委員の研修につきまして、何かご質問等ございましたらご質問など。どなたか質問などございましたら。

園原 謙
先ほどの蒙氏もうし糸数は、奇跡的なマッチングですよね。100パーセントって今言うことはできないんですけど、少なくとも家宝にゆかりの人は、又吉という、又吉家の家譜と蒙氏もうし糸数とつながるというふうに理解できます。

平田 大一
それは今までにない大発見。

園原 謙
ええ、今までにない大発見です。

平田 大一
新しい発見。

園原 謙
新しい発見です。流れというんですか、100年以上の歴史を客観的に証明してくれと。単なる伝承ではなくてといった場合、いろいろ調べてですね。又吉家のほうが一番古そうなので又吉家のものを調べたらそういうところに。たまたま家譜の写しがございまして、蒙氏もうし糸数と又吉家がつながったっていう大発見ですね。びっくりしました。私自身がびっくりしました。
これペリーが来たころです。ペリー1853年ですから2018年から1853年引いたらいくら165年ですか。ペリー来琉が1853年です。実はペリー来琉って100周年事業を時の琉球政府は行っているんですね。当時は戦後、中城御殿から失われた文化財、例えば『おもろさうし』だとか聞得大君黄金簪とか、そういうものを米国政府は、ペリー来琉100周年という事業にかこつけて返還をしたという経緯がございます。
これは源河ゲンガウェーキ三線は真壁マカビに近いですね。で、天の部分が継がれているんです。銘書が確認されるチーガっていうのは、この源河ゲンガウェーキの三線と当館が所蔵している盛嶋開鐘ムリシマケージョー三線にしか、今確認できてないですよ。古いものに関して言えば。盛嶋開鐘ムリシマケージョー咸豊カンポウ10年で1860年。ペリー来琉からちょうど7年後ですけども。もともと三線のチーガっていうのは歴史的な資料として重要な意味を持っていたのかもしれない。後の時代に、消耗品としての扱いが三線のチーガ自体がされてしまいました。要するに棹が大切だということで、実はチーガも楽器として存在しうる以上は重要な要素です。ですから、平成6年の追加指定の際には、棹だけじゃなくて「附胴(つけたりどう)」ということでチーガを含めて指定対象物にしたんです。琉球政府時代は棹だけの指定でした。

大城 學
棹があって胴にヘビ皮が張ってあって、弦が付いていて楽器として存在するのですが、私たちが以前三線調査をした際には、三線所有者および製作者の多くが、胴は消耗品だよと話していましたですね。

園原 謙
そうですね。

大城 學
ところが胴の内側を見てみると、彫り込んだりしたものと、彫り込みをせずにつるつるしたものがあるんですね。この彫り込みは音響効果を考慮していると考えられないのか、と話し合ったことがありました。

園原 謙
楽器として棹だけで鳴らすという考え方は極端で、チーガの張り方、蛇皮の張り方によって音の音色が違ってくるというふうに思います。部当てぃもそうですね。そういうものをちゃんと保存していかないといけないのかなと思いますね。ただ一番、虫が好きな部位がチーガなんですよ。スックイはデンプンですからね、言うなれば、チーガはそれら塗られているので、虫が好んで、よく入るんです。そこで、消耗品だと考えられるきらいはあったのかなと思います。

司会
よろしいでしょうか。ここで休憩時間とらせていただきたいと思います。

司会
はい、それでは後半を開始させていただきます。沖縄県立芸術大学とのコラボ商品の発表ということで、県立芸大から学生さんがいらしていただいております。よろしくお願いいたします。

小嶺
沖縄県立芸術大学から来ました大学院のデザイン専修2年生です。私が小嶺萌々子と申します。こちらが山城あかね、こちら新垣奈々子です。よろしくお願いいたします。それでは沖縄県立芸術大学連携事業三線組合オリジナル商品開発の報告をさせていただきます。昨年の6月に沖縄県立芸術大学と三線組合が連携協定を結んで、その際に三線の伝統と未来について意識共有をしてブランド化推進を目指すという事業を行うことになり、三線組合のオリジナル商品開発とデザインをすることになりました。目的として一つ目に三線に多くの人が親しめるようなきっかけを作るということ。二つ目に職人の後継者育成などといった三線を伝えていく環境づくりにつなげられることを目的に今日まで携わってきました。その中で、私たちが商品開発をする中で決めたデザインコンセプトというものがありまして、三線の作り手や弾き手からまた三線を知らない人まで、多くの人々が三線に今までよりもより親しんでもらって、三線と人っていうだけではなく、三線に関わる人と人をつなげていくきっかけとなるようなデザインを目指して商品開発を行ってきました。去年の10月に初めて三線組合の方たちと顔合わせをさせていただきました。11月に改めて三線組合の方たちとどういうふうな商品開発をしていくかという思いや目的の確認をしました。12月から2月にかけて私たちのほうでアイテムやどういう商品を作るか、そのデザインについての案出しを行ってきました。2月にある程度のアイテムを決定してデザインを調整しました。
2月27日に今回のブランド化会議と同じ会議を行って、そこで中間報告をさせていただきました。次に3月から4月、ブランド会議のあとからさらにデザインのブラッシュアップをして、こういう商品にするというサンプルを製作してよりブラッシュアップしていきました。5月にはアイテムとデザインを決定して6月から発注をかけて形にしていくという作業を行ってきました。そこで、6月にこういうちゃんとした事業として行いましたよというロゴを作ったほうがいいんじゃないかということでブランドロゴの製作も行いました。7月、本日のブランド会議につながっています。それでは私たちが作ったオリジナル商品について紹介してみたいと思います。まず、細かい目標というかこういうポイントをおさえてデザインしようというものをいくつか私たちで挙げてデザインをしてきました。幅広い年齢層に親しまれる多種多様の商品を作るということ。何よりも三線が見て分かる、三線が伝わるということを一番重要視してデザインしてきました。一つ目に缶バッジの製作をしました。これは三線を持ってるシリーズということで、海外の方たちも視野に入れて三線という英語、文字を使って、いろんな人が三線を持っていろんな人が三線に親しめるよというのを表現したデザインです。上の上段三つがヤギ、琉装、クロチョウで沖縄らしさを出したデザインで。2段目が沖縄県人会がある国の有名なものとか有名な人をキャラクターにしてデザインしてます。3段目一番下が、誰でも分かるような日本の偉人の方に有名人に三線持たせているデザインです。全体的にカラフル、楽しいポップな感じを目指したデザインです。完成品が、イメージなんですけどこんな感じで缶バッジも完成しています。次にトートバックについて、山城から紹介します。

 

山城
二つ目のアイテムがトートバッグなんですけど、トートバッグは3柄製作しました。一つ目が、三線を習っている子どもたちに向けた商品を作りたいなと思って、三線教室のイラストを作りました。レトロをテーマにちょっとしようということで、色を3色使おうねって最初はそういうふうに決まっていたのですけど、途中で印刷するに当たって2色に絞ってレトロ感のあるベージュとオレンジで仕上げました。次に男女年齢関係なく使えるようなデザインを作りたいなということで、三線まわりの小物、カラクイとかウマとかツメがすごくかわいいなと思ったのでそれをデザインに取り込みたいと思って配置しました。最初はちょっと手書き風のデザインだったのですけど印刷するに当たってデータを整理して、こういうちょっとかすれたイメージのものに仕上がっています。黒地に三線だけだとすごいシャープでかっこよさが際立ってしまったので、アメリカ世もまた沖縄にはまだ名残があるよということで、アメリカっぽいネオンサインぽい英字を配置してちょっとカジュアルダウンしたデザインを意識しました。

 

新垣
デザイン説明代わりまして新垣が説明させていただきます。三線と沖縄の風景を、日常を切り取ったデザインということで、沖縄畳で正座して座って弾いてるよ、というところ。あと、沖縄をイメージするゴーヤーをポップに一緒に面白くデザインの中に取り入れたいなと思ってこういったデザインになりました。トートバッグは3種類です。次にクリアファイルですけど、また、お土産として手に取りやすいアイテムとして今回クリアファイルをグッズに一つ入っています。クリアファイルは全部で5種類のデザインになっています。また同じくゴーヤーのデザインですけど、クリアファイルは裏表があるので、ちょっと変わった裏と表で違った見え方ができたらいいなと思ってこういう。左側は、A4のクリアファイルを全面で、今表示しているのですけど右側の写真が表面になりますね。裏面がまたゴーヤーだけのドットのかわいらしいデザインになっています。次が沖縄の町並み、石畳をイメージしたデザインになっています。次が、全体的に幅広い年齢層ということが目標だったので、全体的にポップでカジュアルなデザインが多かったのに対して、その中にちょっと男性の方でも持てるようなデザインとして三線の名称をウチナーグチと日本語訳を組み合わせて説明解剖図としてデザインに落とし込みました。

 

山城
アイテムの四つ目が手ぬぐいです。三線を弾いている方が三線拭くときとかにも使うということだったので急きょ手ぬぐいもアイテムとして入りました。全部で2パターンのデザインで3色展開になっています。これが三線三つ柄って呼んでいるのですけど、三線という名前の由来が、弦が三つあるということから3という数字を意識してカラクイとかウマとかツメを三つずつ配置して、間をこの三つの弦で仕切って、3柄展開するというかたちにして。小さくたたんでも、遠目に見ても柄になっているようなデザインを目指しました。オレンジとグリーンの2色用意しています。

 

小嶺
最後にグッズは4種類になるのですが、先ほどのスケジューリングの中でブランドロゴ、イメージとした、今回の取り組みの名前をつけたほうがいいんじゃないかという話があり、こちらと三線組合さんの案からトゥーイという名称にしました。このトゥーイ、三線の棹部分の名称であってあとは通り道、沖縄の方言で通り道だったり、真っすぐという意味を持つことから、三線と人と人をつなぐ通り道になってほしいという思いを込めてブランドロゴ、ブランド名としてトゥーイとしました。以上がアイテムの紹介になります。手ぬぐいのほうが、まだ物が完成していなくてこれから完成を目指すということと、販売に向けたパッケージや表示とか展示、実際にお店に置いたときの見え方などの検討も一緒にこれから三線組合さんとやっていけたらと思っています。最後になりますが商品をゼロから作ることの大変さ、スタイルデザイン、人と人をつなぐデザインがどういうものか、そういうデザインを作る難しさというものを改めて学ぶことができました。今回のプロジェクトで学んだことは今後の私たち、デザイン活動につなげていけたらなと思っています。そして、何よりも三線の継承と発展を願って報告を終わらせていただきたいなと思います。

司会
沖縄県立芸術大学の皆さん、どうもありがとうございました。

小嶺
実際にできあがっている商品があるので、手に取ってみてください。

司会
皆さまのお手元に届きましたでしょうか。はい。赤嶺先生のほうから。

赤嶺
今回三線組合の、先ほども学生のほうからもお話があったように、連携協定ということで、実際に協定自体は平成29年の6月16日に結ぶことができまして、その後やはり大学と三線組合との中で何かかたちにつながるものということを受けまして、今回10月の23日に学生連れて組合のほうにうかがって具体的にお話を聞きながら今回のプレゼンにつながっていくということにはなるのですけれども。学校としても社会連携との、やはり地域であったり、いろんな連携を結びながら進めていくということはすごく重要なことということもありまして。あと、学生にとってもいい経験、体験になる。ということで、今後につなげていけるということもありますので、ぜひとも今回提案したものを先ほども事務局長の仲嶺さんからもお話があったように活用していただいてPRができればいいのかなというふうに思っていますのでよろしくお願いいたします。

司会
ありがとうございます。次に皆さま方、今回、プレゼントということでしたが今後は積極的にご購入していただければと思いますのでどうぞよろしくお願いいたします。皆さま、どうでしょう、今のは学生さんの商品につきまして何かご意見等いただけましたら。鈴木さんぜひ。

知名 定男
素晴らしい企画、企画というかできあがりも含めて素晴らしいなと思いました。これは結構広く、例えばTシャツとか、かりゆしウェアとかにやると、観光立県沖縄と言われてるところお土産がガンガンいくと思いますけど、どうでしょうかね。例えば帽子とかね、ふだん使っているハンカチとかそういうものにデザインしていくと結構ヒットするんじゃないかなというふうな思いです。本当に若い人たちの夢をかけるというんですか、この発想は非常に素晴らしいなと思いました。3名方の話を伺っているうちにあまり年をとりたくないなと思いました。素晴らしかったです。

司会
知名委員ありがとうございました。続きまして鈴木委員のほうからぜひ商品のコメント。

平田 大一
厳しめのコメントで。

鈴木 修司
もう本当に拝見させていただいて、実物はすごいさらに良かったのでちょっと感動しています。私たちゆいまーる沖縄も3年前に沖縄県立芸術大学さんと商品開発をさせていただきまして、私が初めて3年前、今いる小嶺さんと新垣さんもメンバーに入ってもらってやったんですけど、想像をはるかに上回るデザインを出していただきまして、その商品は今でもゆいまーる沖縄の稼ぎ頭にもなっておりまして。大学のほうからも社会との連携というのをもっとしたいということを当時先生からお話を伺いまして、今回第2弾といいますか、こうやってでき良かったなと思います。今後沖縄の文化とデザイン、デザインを学んだ人が生かす場とか、沖縄まだまだ少ないので、こういうかたちで積極的に文化とデザインを結ぶ活動を今後も継続していただきたいなと思います。あと職業柄僕はこれをいくらで売るんだろうとすごい気になっておりますので。すごいクオリティー高いので、さっき三線組合で販売ってあったんですけど、流通を広げられる価格設定に先にしておいたほうが後々広げやすいので、ちょっと近い場所で売ろうとするとその値段設定になって卸とかができなくなって数が売れなくなっちゃうので、そこだけ検討していただければ。そのぐらい素晴らしいと思います。

仲嶺 幹
すいません、事務局長の仲嶺です。鈴木さんとは今後また、ご相談して値段設定を含め、よろしくお願いします。今回1年間かけていろいろ取り組ませていただいて、こういったアイテム作成。伝統とはちょっと物づくりの自分たちとは違うジャンルかなとはあるのですけど、しかしこういったアイテムも作ってどんどん作って、いろいろ抱えている材料の枯渇、後継者育成等にしっかりその予算が回るような仕組みっていうのを、また三線職人とか世間に還元できるような仕組みをしっかり考えて、今後もどんどん商品開発を進めて、博物館さんでも販売できるようにとか、大工先生の顔がプリントされてるとか。

大工 哲弘
撲の顔がプリントされているなら、売れないよ。

仲嶺 幹
いろいろ提案させていただきたいなと思ってまいすので今後ともよろしくお願いします。

大工 哲弘
このアイテムの商品化していこうという斬新な発想ってとてもすてきだなと思ったんですけども。これどれぐらいまで広がれる分野なんですかね。

仲嶺 幹
商品として。

大工 哲弘
ええ。

仲嶺 幹
無限ですね、今のところ。

大工 哲弘
例えばちょっと自慢話するとですね、今、三線のソフトケースっていうのが一般化されているのですけれどあれ実は90年に僕がアフリカに行ったとき砂辺テントに持って行って、ぜひソフトにしてくれと。ショルダーにしてくれって、僕が最初に作らせたんですよ。ただ後悔してるのはあのとき商標登録しておけばよかったなというのが非常に今、悔しい限りで。でも、今女性がこういうふうにピンク色の三線のショルダーを背負っているのを見ていると、なんかすごい、いじらしいなっていう。とてもなんか愛らしくなってですね。昔は、そういうケースがないころには、僕たちが若いころは風呂敷に包んで三味線を抱っこっていうのが女性はですね、それが通常な女性らしいなというそういう姿でしたけど。もしできたら、これから三線ケース、今の3名の素晴らしい発想でもっともっとかわいらしいというか、そういう発想の開発はできないかなということを考えたりしました。はい、以上です。

司会
ありがとうございます。プロの方からもお墨付きをいただき、委員の先生方からもお褒めいただいたということで、今後ともぜひ三線組合のために収益になるような商品を作っていただきたいと思います。ありがとうございました。それでは演奏者仕様三線の提案ということで仲嶺のほうからご説明させていただきます。

仲嶺 幹
お手元の資料3のほう出していただいて、資料3ですね。今回、組合のほうからの提案といたしまして、演奏家仕様三線の提案。こちら分かりやすく言えば、知名定男モデルとか大工哲弘モデルという三線の提案ですね。コラボ目的としましては大きな目的はやはり、黒檀が今後安定して入ってくるのもなかなか難しいというのが目の前にありますので、枯渇する黒檀の代替材をどういうふうに注目させるべきなのかと。そういうのもありまして県産の材をブランド化できないかということで始まりました。それらの製作の新たな作業、チーガの作製でしたりカラクイの作製等も後継者育成の作業につなげて実践の場で育成ができないかというのも目的の一つとなっております。

また、やはりプロ仕様ということで細かな調整、弦の号数を1本ずつ変えてみるとか、棹の長さ微妙に違う、チーガのサイズも微妙に違うと。それが音としてしっかり違うと。職人も演奏家のプロもこれぐらいこだわってやっているんだよっていうのを多くの人に知ってもらいたいなというのも目的の一つと考えています。次に、いろいろと調査した中で100人の三線ヒチャーに何型を持っていますかというふうに聞いたときに、最も多く普及してるのが真壁マカビ与那城ヨナグシク型ですね。通称与那ユナー型ですね。この二つで7割を超えていると。それ以外の型を提案できれば、まあ2挺目3挺目というふうに購入する方に南風原フェーバラー型持ってないから買いたいなと、知名定男モデルでもあるしみたいな感じで2挺目3挺目の購入としては型をずらしてブランディングできればなというねらいもあります。そこで、やはり材のブランディングもどのようにするかっていうのも国頭森林組合のほうに理事長事務員等で見学しに行って、安定して仕入れることができてなおかつひねり反りが少ない材というのをせん定して。科学的にといいますか、比重、木目がどれぐらい詰まっているかとかという数字もしっかり黒檀と比べてこうである、ユシギと比べてこうであるという数字もしっかり商品の説明の中で、だからいい材なんだよ、というのもアピールしながらブランディングをしたいと考えております。今回の提案モデルといたしまして、1、これはまだ案として聞いていただきたいのですけども、高音モデル高音重視の三線、大工先生モデル。2、中音重視、一番幅広く音域をカバーできるというようなもので宮沢和史モデルと。3、低音重視の三線、知名定男モデルということで。イメージといたしましても、大工先生の力強い声、また宮沢さんの声、定男先生のしっかり低音の効いた三線というのをイメージして提案させていただきました。
はじめに低音のほうから、これは写真が間違えていますね。これ南風原フェーバラー型になっていますね。これ、ごめんなさい。写真が間違えていますね。写真がちょっと南風原フェーバラーになっているんですけれども、高音重視の大工先生のモデルとして、今回目の前に、今、ちょうど先生の前にあるんですけど江戸与那型で試し作りですね。先生は知念大工とかっていうのも案としては出ておりまして、今回は江戸与那エドユナーで試し作りさせていただいたんですけど。棹材としてソウシジュ、曲がりひねりが、しっかり乾燥させて材料を選べばそういった密度も、ユシノミーと同じぐらい密度があるということで比重もちゃんと出ていましたので。今回長さを少し長くしてみたり、一尺五寸。市場で今出回っているのは一尺五寸八分。約4ミリくらい短いんです。少し長くして。チーガの材もイジュという県産材ですね。これ、昔から三線のチーガとしても使われていたということでイジュ。本当はチャーギとかが使いたかったんですけど、今、森林組合のほうにお伺いに行ったらもう本島は虫が入って全滅しているということでチャーギが。もう手に入らないって断言されてしまいまして。じゃ、チャーギの代わりにイジュをブランディングできたらなと。それ以外の材も視野に入れてアピールできたらなと思っています。で、チーガの形、厚みが三つとも違う厚みになっております。そこで音の含みとか奥行きも表現できたらなと思います。チルもテトロンの1.5号。こちらですね、市場では普通は2号弦ですね。一番細い弦が仕様されているんですけど、1号が一番太くて、1.5号、2号っていう三つがだいたい市場に出回っている中の1.5号ですね。棹が少し長くなった分、ちょっと弦にも力をプラスしてっていう感じで少し弾いた感じがアタックが強いといいますか、そういう仕上がりになっております。特徴としましては厚い皮を強めに張り、1.5号の太いチルを取り付けることにより重厚かつ高音の澄んだ音色に仕上げようというのがねらいとして、音の作り方としてはイメージして今回試作といいますか、まだモデルのモデルではあるんですけど取り組ませていただきました。
次に宮沢モデルとして真壁マカビ型。真壁マカビ型も試しに作っているだけなので、まだまだ南風原フェーバラー久葉の骨クバヌフニーとか久場春殿クバシュンドゥン、平仲知念チニン、また与那ユナーとかでも小与那クーユナーとか色々なのがありますので、これはあくまで、材は同じですね。長さが一尺五寸八分。一般的に普及している長さ。チーガの厚みも先ほどの与那ユナーより少し薄いですね。こちらではテトロンの2号、少し細い高音が伸びるつくりになっています。特徴としては、音色音響ともに均衡のとれた、聞き慣れたといいますか一番バランスのとれた仕上がりを目指そうと。張り加減も先ほどのより落として厚みもちょっと厚目というか中目ぐらいの皮を八分ぐらいで少しおさえた、大工先生のよりはちょっとおさえた感じの仕上がりというふうにイメージしております。最後に、低音重視の知名定男さんモデル、南風原フェーバラー型。こちらはじめのイメージとしてちょっとクラシックな感じというのをイメージして、一番古い型と言われている南風原フェーバラー型を使ってですね。棹の長さは一緒ですね。一尺五寸八分っていうのは間違いですね。一尺五寸五分。一尺五寸五分っていうのが古い三線の特徴ですね。昭和の初期とか大正、明治とかっていうのは結構一尺五寸五分っていうのが多く、少し短い。で、弾いてもちょっと尺が浅く感じるというのが特徴ですね。チーガの厚みも薄めになっております。張りも本皮のやや薄め、厚くはない皮を四分張り、四分、五分ぐらいに張ってあります。絹糸も太めの2号弦。だいぶこもった含みのある仕上がりになっています。特徴としましては、昔三線を復刻させ柔らかな皮張りに絹糸を取り付け、余韻は少し短く感じますが素朴でやさしい音色というのをイメージして今回この三つをモデルとしてあげさせていただきました。せっかくなので試しに今回、三つ、本当にもうたたき台のたたき台というふうに思っていただいて、ちょっと大工先生、定男先生に弾いていただけたらなと。すいませんけど弾いた感想いただければ。はじめに大工先生のほうから。

大工 哲弘
歌も歌うの?

仲嶺 幹
いやいや、一節いただければ。

平田 大一
作ったのは誰?

仲嶺 幹
あれが仲嶺幹でこちら岸本尚登さん。真ん中のが上原正男さん。

大工 哲弘
いいですね。

※かぎやで風節、歌待

「キユ、」はい。

仲嶺 幹
ありがとうございます。

知名 定男
低音とか高音とかだいたいの声によって三線が作られるというのも不思議なことを感じますけど。もともとみんな高かったんですよ、声は。僕は変声期にちょっと無理をしまして喉から血が出るほどの無理をしまして、変声期を終えて大人の声になったときに声が上がらなくなっていったんですね。いわゆるバス、バリトンの音域なんです。でも普通の民謡、古典の先生たちの音域を聞いているとほとんどテノールですね。上はGぐらいまでは歌う。僕はせいぜいEぐらいまで。EとGとかって分からないですよね。ドレミファソラシドありますね。普通のハ長調のドレミファソラシド、ドレミファソ、ソまでいくんです普通。で、もっと高い人は大工哲弘なんかはもっと上までいくんですね。GシャープとかAぐらいも。このぐらい高いんですよ。僕はそれよりだいたい3度ぐらい、4度ぐらい低いんですね。だいたい沖縄の歌っていうのは2オクターブで構成されてますから、難しいんだけどね。伊野波節ヌファブシがだいたい2オクターブですよ。下の下がるところから上の上がるところまで2オクターブとちょい。僕が同じように2オクターブちょいいけるんですが、そのまま下げないといけない。僕の声を聞いたら、声の上がる人たちは定男みたいな低音がほしいってぜいたく言うんです。僕はもっと上の声がほしいって思っているのに。余計なこと言ってごめんなさい。いいですね。
※屋嘉節、歌待
「ナチ、」そうだな。柔らかいですね。この三線もらえるんですか?ちょっとこれ、引っかかりますね。

仲嶺 幹
少し太めの仕上がりなっています。渡慶次さん、少しだけぜひこれ弾いていただければ音出し。こちら真壁型ですね。

渡慶次 道政
ああ、いい三線だなこれ。誰が作ったかな。上原(イーバル)さん。

仲嶺 幹
これは上原さんですね。そうですね。
とても強いよりか少し落とした感じになっていますね。

渡慶次 道政
※梅の香り、歌待
歌いたいけどプロの前では歌えない。

仲嶺 幹
大工先生、もしご意見等、今後のこういった取り組みに関してでもいいんで一言何か。

大工 哲弘
とてもいいアイデアだなということ感じますけども。これ8月に経済産業省というのが発表されるというブランド。

仲嶺 幹
審査ですね、審査が。

大工 哲弘
園原先生がプレゼンテーションしたっていうその結果が出るわけです。

仲嶺 幹
結果は11月。

大工 哲弘
ああ、11月。なのに、なのにって言ったらあれだけど、そういうモデル型三線も同時にそういうふうなのをやっていいのかどうかっていうのは分かりませんけども、発想としては素晴らしいなと思いますけども。ただその認定化に向けて邪魔にならんかなという心配があるんですけども、もし大丈夫だったら大いに進めてもらいたいなということを思ったりします。実際沖縄の三線というのは、三線は歌の友と言われておりまして、歌の友というぐらいだから声に合った音でなければいけないっていうのがあるんですね。で、もう一つは弦声一体と。弦と声が一体でなくちゃいけないっていうのが、だいたい基本の沖縄の歌三線を表す表現ですけども。やっぱり僕は自分の声が合ったっていうことを考えると与那ユナー型がとっても好きですね。とても力強い音を出すということがあって、その音に声もその三線の音に乗っかっていくというのがだいたい普通だと思うんですけどもね。できるんでしたらね、売れている与那ユナー型と同様真壁マカビ型も売れているという発表があったんですけども、今回のコンセプトはあまり売れていない三線の型を普及していこうと。売れないという型を普及していこうというコンセプト、考えからすると、僕は知念大工ですね。好きですね。というような全国にいる僕のお弟子さんたちは、沖縄に来て何の型を買うかといったら知念大工チニンデークを買うんですよ。なぜかというと大工先生の大工が知念大工チニンデーク型だからですね。僕の祖先が作った型と思ってるんですね(笑)。だったらじゃあ僕の型にしようかという、まあ冗談ですが。今回そういうプロジェクトでもし許せるんだったら僕は知念大工チニンデーク型をですね、大工モデルにしていただいて。そういうかたちで大いに宣伝していければなということで思っています。ということで応援したいと思います。

仲嶺 幹
はい。ありがとうございます。今回初めての取り組みで、三線を区分するといいますか、今まで漠然と古典用とか民謡用とかステージではこんな感じがいいとかっていうのは三線屋の中でそれぞれ分けてプレーヤーに合わせて作っていたのですが、それを分かりやすく一般の方にも伝わるようなかたちで表現できないかと。いわゆるもともとあるものに名前をつけるといいますか、ブランディングするという感じの取り組みだと。これをまた発展させると、例えばですけど女性用とか子ども用とかエイサー用とか、いろんなあるんだけれどもネーミングつけて、また特徴をはっきり。防水、野外で弾いてもちょっとした雨にも強いとか。エイサーやるときとかっていうのも。そういうのもいろいろ今後商品開発していけたらなと。またそういうのをご助言いただけたらなというふうに考えております。できれば、この先生たちのモデルの三線を、年度末2月にはまとめて最後のブランド委員会の公開シンポジウムの中で今回よりちょっと長めに三線も弾いていただいてと思いながら発表の場と位置づけられたらなというふうに思っております。また、こまごまと先生のところに押しかけて試しの三線とかっていうのを何挺か準備しながら細かい指摘をすすめて商品開発につなげていきたいなと思っています。以上です。大変ありがとうございました。

司会
それでは意見交換に移らせていただきたいのですが、この中で本日、平田委員のほうからお話があるということで配布物のほうよろしいでしょうか。事務局のほうから。平田委員からいただいた配付資料を。

平田 大一
第7回のブランド委員会に参加して、本当にプロジェクトが進みつつあるなということを感じております。先ほど園原先生のほうからもお話があった通り、国の指定の条件の中でやはり材料確保というのが非常に大きなポイントの一つだということの中で、おそらく、このくるちの杜100年プロジェクトという取り組みですね、一つ大きな意味を持ってくるんじゃないかと思います。もちろんこの取り組み自体は100年たたなければ、実際三線の棹として使えるのか分からないことでありますけれども、やっていなければ何も100年後の検証ができないわけですから、ちっちゃな取り組みですがこういう取り組みをやっていると。実は今日配りましたのは、くるちの杜100年プロジェクト今年10周年迎えます。それのスペシャルイベントっていうのを10月13日に行おうと思っています。毎年旧暦9月6日、クングヮチルクニチ、くるちの日ということで9月6日に合わせたかたちでイベントするんですが、今年の旧暦9月6日は10月の14日になっています。日曜日です。もろもろのイベント事業も合わせて考えてみて、その前夜祭に当たります10月13日に、今年は鳳ホールを中心でやろうと思っていますが。毎年恒例のくるちの杜育樹祭式典の部というのが朝10時から11時、くるちの杜の公園でやります。三千本近いクルチが植えられておりますので、約4万挺近い三線がとれるという計算になりますけども。実際はそこからスタートしてメインのイベント、記念フォーラムということで入場無料ですが2時から5時、3時間ですね。企画の1、2、3分けて、みんなで楽しくクルチの勉強をし、三線文化に触れましょうという取り組みを計画しています。
企画の1、古典流派の皆さまの参加、ミニ演奏100年エールということで野村、安冨祖それから文化協会の皆さんの演奏。それから企画の2、これは当委員会の委員であります、琉球大学の谷口真吾先生によりますクルチ博士のお話。それから県立芸術大学の小西先生によります、その立場でのお話。そして三つ目に三線組合の代表事務局長の仲嶺さんに、学術関係代表の100年プレゼンコース、コーナーっていうのを設けたいと思っています。それから企画の3番目には、三線実演家100年メッセージと演奏ということで、知名定男先生、宮沢さん、そして今日ご了解いただきましたので大工哲弘先生にも出演いただきまして。さらには沖縄型筋萎縮症の車いす三線ヒチャーを、我如古盛健さん、ケントミファミリーで有名ですが、ケンさんにもでてもらい、そして第6回国際ひやみかち節コンクールで優勝した安慶名大芽くんという小学校5年生ですかね、今。次世代を代表しての少年に出てもらおうということで、多彩な盛りだくさんであるんですが、裏のほうに実は細かい鳳ホールでの3時間にわたるこのフォーラムの内容が書かれております。楽しみながら学ぶということをテーマにしなければ100年続かないということで。100年続けるためにどうしたらいいかと毎日考えてやっているわけですが、2年に1回は音楽祭、2年に1回は勉強会ということで今年は勉強会の年にあたりますのでくるちの杜の10周年記念してイベントを組んでいこうと思っています。キャッチコピーは、もう10年まだ10年あとたった90年っていうですね、あと90年をどうとらえるかということでやるわけですが。ぜひ同時開催で、くるちの杜10年の歩み展、それから三線無料診断、三線演奏体験コーナーあと、くるち工芸展等ありますけどもしよろしければ、今日発表があったグッズも早速ならべていただきましてみんなに普及していただき、くるちの取り組みということと三線文化の普及ということをあわせてみんなでやれたらいいなというふうに考えてますので、10月13日はぜひ読谷のほうに足を運んでいただけたらと思います。ご協力よろしくお願いいたします。以上です。

司会
ありがとうございました。それでは本日、全体を振り返りまして意見交換などをさせていただきたいんですけど、どなたか何かお話ございましたらぜひお願いいたします。

平田 大一
僕、さっきの、自分の意見いいですか。すいません。先ほどのはちょっとくるちの杜のお話だったので。今日、参加した芸大生の皆さんのお話聞いて非常に面白いなと思いながら聞いてました。デザインの中にサッカーがあって、本当もしよろしければこれ半分冗談ですけども、野球のバットで振ったあとにサンシンとか書かれてるといいなとか、ちょっと思ったんですけども、それそういうふうなものだと思われるなと思ったので、すいませんこれは冗談だってことで却下してもらいたいですが。何かポップアイデア、ポップなものというのが主流になるけれどもやはりその奥には奥座敷というか、いわゆる絶対に変えられないものとか変えてはいけないものっていうものがきっとあると思うんですね。そういったものにどうつなげていくかっていうステップとしては入り口、間口が広いというのはすごく大事なことだと思います。なのでブランド化委員会の中でおそらくきっとこういうふうにポップなかたちで大勢の方に、まず交流人口増やして、その中で定住人口生み出していくというような考え方でいくならば、まさに6対3対1という方程式があって。1は当事者、3は関係者、6はその他大勢っていうですね。その他大勢取り込む6に対する取り組みだと思いましたので、今後は3と1の部分というのがマグネットが強くなければ6もやっぱり引きつけてこれないので。その1と3の部分をどうするかというのは大事なことで、ぜひそういった面では職人さんたち、現代に生きる職人さんたちにちょっとクローズアップをして、こういう人たちがこういう三線作っているというものを格好良くブランディングしてあげるというのも一つ手じゃないかというふうな気がします。あくまで手法の話です。それでどういう効果が生まれるかはケミストリー、化学反応ですけども、そういうふうに人に光を当てていくというのもとっても大事かな。イメージ戦略は、あくまでもリアルな物があってのイメージ戦略だと思いますので。リアルさっていうのは、恐らく職人の生きざまとか職人さんたちの作り出すものに対するものが僕はマグネットにつながってくると思いますので、そういう磁石のようなものを今後どういうふうにブランディングしていくかということも合わせて考えられるようなものになったらいいなというふうに思ってますので、ぜひそういうところもアイデア出しながらやりたいと思います。本当に今日ありがとうございました。

鈴木 修司
すいません、鈴木です。今、平田委員のつながりで今日感じたことをお伝えしたいんですけども。私も平田委員から話があったところが結構ポイントだなと思ってまして。これだけ大御所の先生方がいて、かなり深いところでの議論というのは、本当にこの2年間されてきてると思ってまして、今回芸大の皆さんから商品が紹介されて、ポイントだなと思ったのが今後題名でありますブランド化なんで、どうブランド化していくかということを最後総まとめとして、この1年間どういうブランドにしていくのかっていう部分の議論が必要なんじゃないかなと思いました。平田委員がおっしゃるように今日は芸大生が、間口を広げるって非常に大事なことなので、こういった商品のイメージで、ただ奥行きが、かなり三線は深いので。この段階別でかなりポップな、ポップというか幅広い領域とかなり深い領域っていうのは混在してくるので、これを全体として、じゃあどういうイメージに持っていくのかっていう、段階の違うものと全体を取りまとめたブランドのイメージというのをどういうふうにまとめていくのかっていうところが結構難しいところで。そこで組合としての例えばグラフィックをどうしていくのかとかそういった全体的なブランドイメージの部分と、あとそれ以外のブランドのイメージをどうまとめてホームページとか印刷物であるとか、媒体がウェブとリアルとあとイベントとかチラシとか、いろんな媒体に広がっていくので、これをどう全体を取りまとめたイメージ、ブランドを作っていくのかっていうのはそろそろもう議論し始めていいんじゃないかなというふうに思います。そうするともっとメッセージがはっきりしてきて、沖縄三線の人が一つ、いろんなバリエーションがあってもイメージとしては1本のイメージで伝えていくのがやっぱブランドだと思うのでそこをそろそろ議論を始めても、認定も間近だと思いますので、そういうタイミングかなと思いました。ありがとうございます。

司会
ありがとうございました。お願いいたします。

大城 學
三線の歴史を調査している者からすれば、先程の園原さんの発表にありました又吉家の家譜に記載されていた1853年の記事、これは素晴らしい発見だと思いますね。我々は三線が中国から伝来した年代がいつだったのか、ということで悩んでいます。ひとまず三線は14世紀末から15世紀初頭にかけて、中国から伝来したのではないかと仮説を立てています。
1392年、中国福建省閩江ビンコウ周辺の人民である閩人ビンジン三六姓を琉球へ賜った際に、「始メテ音楽ヲ節シ礼法ヲ制ス」とあり、この音楽は三線と考えても良いのではないか、つまり閩人ビンジン三六姓が三線を携えて来たのではないかという考え方です。また、『南方記伝』に、1402年に琉球船が武蔵国の六浦に漂着した記事に「船中音楽ノ声有リ」とあって、この音楽に三線がかかわっていたのではないか、とする見方もあります。三線を含めた三弦楽器は棹と胴の部分が分解できて、持ち運びに便利であることから、琉球と中国が進貢関係を開始してから早い時期に、中国から琉球に三線が伝来したと考えるのは、さほど無理なことではありません。三弦(三線)は中国で誕生した楽器なんですが、西は中東あたりまで普及しているんですね。もちろん、アジア地域にも普及しています。そして、三弦を取り込んだ地方では、それぞれのお国の音楽環境に合わせてそれぞれの三弦楽器が出来たんだと言われるんですね。いにしえから音楽(芸能)文化が好きだったウチナーンチュが中国へ行った際に、三弦をいただいて帰国したというのは、今風に言えば県民性からすると決して無理なことではないだろうと思っています。そういう状況の中で、資料を丹念に調査し確認しながら三線年表を作っていくわけです。今日の糸数から又吉に継承されていくというあの家譜史料は大発見でした。もしかすると同様な記録が今後とも出て来ればいいなと思っています。仲嶺幹さんと園原さんのお二人で家譜を発見され、その後の調査をなさったようでして、大変素晴らしいことだなと思っています。

司会
ありがとうございます。総合事務局さんお願いいたします。

タバタ
すいません。沖縄総合事務局経済産業部地域経済課のタバタと申します。本日はどうもありがとうございます。ちょっと手短に2点ほどというかですね。まず、先ほどから経済産業大臣の指定のお話もいくつか出ていたので改めて少し整理をして申し上げますと、今現在ですね、申請書になります申出書を正式に提出が終わっておりまして、これから8月16日に経済産業省のほうの諮問機関であります伝統工芸品指定小委員会というのにかけられます。そこに園原先生とか組合の方々もお出ましいただいて、いろんなご説明をいただきますと。それが諮問機関となっている関係上、指定しても問題ないという結果が出ればそれを経済産業大臣に返して手続きをさせていただいたうえで11月、今、めどなんですけれども指定しますという公表をもって正式な指定となりますので、できましたらそれまでは気を抜かず、懸案事項であるとか不明な点とか出てきた場合はぜひ引き続きご対応いただければと考えております。2点目がですね、もちろん指定というのが一つのきっかけでしかないかもしれないですけども、今回のようにすごい機運が盛り上がっていると思いますので、その盛り上がっている機運を維持もしくは拡大しつつ、今後、先ほどからご意見出ていますけどもブランド化というところを目指してですね。
おそらく指定へ向けてかなりご苦労されてきたかと思います。資料集めだったり資料作成だったり。今後ブランド化に向けては、また違うご苦労というか違う大変さが出てくるんだろうなと思っているんですけれども、産地全体で一体となって課題であるとか、できれば今後の中長期的なビジョンというかそういったものを見据えていただいて。先ほど鈴木委員もありましたけど一つの背骨のような太いメッセージとか柱を共通認識として掲げたうえでそれに向かって行うべき必要な種々の事項を認識しあって取り組んでいかれると。で、最終的にはブランド化されて、ちょっと言葉は悪いんですけども各作り手の皆さまの売り上げが上がるというかですね。そういったところにつながって、かつ後継者も増えていくと、従事者が増えていくというところにつながると期待させていただいておりますのでぜひ今後ともよろしくお願いしたいと思いますし、もう1点。先ほど沖縄県さんとか那覇市さんからもありましたけれども、今後指定された後、早々に振興計画という5カ年計画をおそらく組合さん中心に作ることになると思うんですけども、その中でおそらく今後こういうことが必要ですということを掲げられるかと思うんですが、その中に後継者育成であるとか販路開拓ですね。そういった取り組み、こんなことしていきますということを掲げられると思いますので、その際に活用できる補助事業っていうのは、県さん那覇市さんと一緒にやっている補助事業がありますので、そういったところの活用をにらんでいただければなと思いますのでぜひ今後とも引き続きよろしくお願いします。

仲嶺 幹
すいません、事務局の仲嶺です。組合としましても11月に合否が出ると。ただ11月まで待っておこうっていうのもあれなので後継者育成等も検討に関してそろそろ始めてもいいのでは、どういった事例があるのかとかそういう情報を集めて、具体的に三線業界にどのような後継者育成というものが適しているのか人数等を議論しながら。また鈴木委員がおっしゃったように、何を軸に後継者育成とかどういうのを柱に、業界の背骨に据えるかとかも、いろいろ人だけ育ててもそれが使える機会がないとかという市場では困るので、市場作りもイメージしながら後継者育成。また販路の開拓等ですね、先生方の力まだまだ借りないと三線組合だけではなかなか難しいんじゃないかなというのが正直なところです。今年度はブランド化の最終年度ではありますけれども、引き続きあと2回のブランド会議を重ねて、来年再来年普及にブランド化にご協力いただけたらなと強くお願いしたいなと思っております。以上です。ありがとうございます。

司会
それでは長時間にわたり皆さまご参加いただきましてありがとうございました。今後とも引き続きどうぞよろしくお願いいたします。これにて閉会させていただきます。