味。三線職人、銘苅春政

野原 学

 

2017年12月、南国沖縄といえども冬の風は冷たい。年末に向かう巷の喧騒から離れ、那覇から南へ。

南城市、グスクロードで有名な玉城。そのグスクロードの中でも雄大さでは類を見ない糸数グスクからほど近いしずかな集落の一画、民家の塀に大きく描かれた「銘苅三味線店」の文字。

門前でまどろむ猫を尻目にお店の入り口から中をうかがうと、三線の棹を持った男性の姿が見える。銘苅春政さん(以下敬称略)だ。貫録がありながらも、どこか親しみやすい雰囲気がある。

「こんにちは、今日はよろしくお願いします」と挨拶をすると、よく来たね、というような笑顔がかえってきた。

中に入ると、土間の左手に糸ノコギリの機械が鎮座し、長年の作業を物語るように黒檀の粉が大量に付着している。その周りには製材された多数の黒檀が積まれている。銘苅の横には使い古されたいくつもの鉄工ヤスリ。柄の赤さが目を惹く。

店内右手の畳間には仏壇トートーメーの跡。工房と三線店、ふたつの要素を兼ね備えた雰囲気がある。この黒檀は? と聞くと、

「お客さんが持ってくるよ。三線の型(7種)をぜんぶ作って欲しいと言ってからよ」と、うれしそうに話す銘苅。長年職人として様々な三線を生み出し続けた銘苅への、お客さんの厚い信頼を垣間見た気がした。

 

三線職人、銘苅春政の誕生まで

銘苅春政は1934(昭和9)年8月10日、第二次世界大戦では激戦地となった沖縄本島南部に位置する玉城村(現南城市)生まれ。沖縄戦の時は大変だったのでは? と聞くと

「アメリカーは大通りしか行かないから、細かいところには入らないよ」という祖父の言葉に従い、避難せず親戚と玉城で過ごしたという。その結果、銘苅の家族は誰一人として傷を負うことなく終戦を迎えることができたそうだ。

終戦後、大工の棟梁である父親の元で働きはじめ、大工の技を身につける。

「昔は何もないから、全部自分達で作るさ~。砂糖を作る釜、レンガのかまど、豆腐を作る釜、水桶など、家を作りながら親父は何でも作った。仕事の依頼がない時は農業をする毎日だったよ」。そのように父の仕事を手伝っているうち、銘苅の大工としての実力は棟梁である父親に次ぐほどになる。三線職人の素養はその頃に培われたのかもしれない。

24歳の頃、順調に大工の道を歩んでいた銘苅に転機が訪れる。その腕前を買われ、親戚のなかもと三味線店の夫婦から三線職人としてスカウトされたのだ。いわゆるヘッドハンティングである。

大工から三線職人への転身に銘苅は不安を感じることはなかったという。

「大工だけでなくて、日常の細々としたものを作っていたからねぇ」と笑った。さらに、「親父もOKしてたし」と、迷うことなく了承したそうだ。

そこから7年間、銘苅は住み込みで修業をすることになる。

「給料はB円(終戦後、通貨として流通したアメリカ軍発行の軍票)で3000円。ドルになって40ドル。当時、軍作業の人たちは80~100ドルもらってたよ。(自分の給料は)少ないよ。住み込みだから生活できたんだよ」。ふふっと、当時を懐かしむように笑いながら銘苅は語る。

たしかに給料は安かったが、この7年間がその後の職人としての土台を築いたことは間違いない。

銘苅は三線職人としての顔のほか、実演家としての顔も持っている。実演家としての道を歩み始めたのも、なかもと三味線店時代だった。

「最初は古典の流派もわからんかった。三線店の長男が古典を習ってて、店のオカーが、アンタも行きなさいって言うから始めた。習うところも近かったしね」と、まるで近所に遊びにいくような気軽さ。

以降、銘苅は順調に実演家としての実績を積み重ねていく。1960年に琉球古典音楽コンクール 三線部門新人賞。63年 優秀賞。1964年には沖縄タイムス社主催 琉球古典音楽コンクール 胡弓クーチョー部門が始まり、その第一回目の新人賞を受賞。現在、安冨祖流絃聲会の三線と胡弓の師範となっている。特に胡弓は沖縄県指定 無形文化財保持者である。県指定無形文化財指定を受けているのは、三線職人世界広しといえども、銘苅のほかは数えるほどしかいない。胡弓について銘苅はこう語る。

「味のある音を出さないといけない。調弦も余韻まで計算にいれる。音の細かいところまでこだわらないといけないね。そして、歌の感覚に合わせること」。

銘苅に、実演家として記憶に残る公演について聞いてみた。

「今でも覚えているのは、1970(昭和45)年に台湾で開催された『蒋介石 85周年誕生祭』だね。演奏も公演後の懇親会も非常に印象的だった。忘れることはできないね」。

三線職人と実演家、二足のわらじを履きながら、銘苅は31歳の時に独立、32歳で結婚し、以後33年間を那覇市で過ごし、独立から34年目の1998年に故郷の玉城に戻り、現在の銘苅三味線店を開店。玉城での暮らしも今年で19年目になる。

 

何千本作っても同じ三線はない

「手仕事には手形というものがある。木にも建築にもある。昔の石大工が削った石からでも職人がわかる。だから自分の作った三線はぜんぶわかる。作品を手がけた段階から完成形が見えてくる。その見えてくるものに近づけるにはミクロンの世界に入らないといけない。だから私は髪の毛よりもさらに細かく削るよ。そうして作り上げた私の三線は、同じ真壁マカビ型でも同じものはない」。

昔から三線は「生まれる」と言われるが、まさしくその通りであると銘苅は言う。ミクロ単位で産み出される銘苅の手形が入った唯一無二の三線。銘苅の言葉のひとつひとつに職人としての矜持を感じた。

 

綺麗に曲げる

美術史上最高の芸術家の一人とみなされる、ミケランジェロの言葉に「余分なものを取り除いていくことにより、彫像は完成していく」というものがある。

銘苅は修業時代、三線製作のほかに仏具、位牌、銀の蓮などの細かい彫刻をしていた。この経験は今も三線づくりに活かされている。

「テレビで見た仏像彫りの人も(私と)同じこと言っていたよ。いかに余分なものを削ぎ落すことが大切だってね」と銘苅。ミケランジェロに限らず、古今東西の職人の見る世界や言葉には共通点がある。技を極めた先に見える物事の本質は同じなのかもしれない。

また、銘苅は曲線の美しさにこだわっている。

「曲げるのも、ただ曲げているわけではなく、綺麗さ、美しさを感じるものでなくてはいけない。ただの線ではなく、味のある曲がりがある。バランスがある。材料を見ていると、ここを削ったほうが良いとわかる。(理想の)曲線が見えてくるから、それを出すように削る。そうして、いつまで持ってても、見てても飽きない綺麗さを作る。寸法を測って作るんじゃなくてね」。

 

さらに、銘苅は楽器としての三線にも哲学がある。

「棹を触ったらすぐ分かるけど、三線を弾いたら目には見えない振動がある。棹は木の質に応じて、柔らかかったら太く作っても良いし、硬いのはあまり太く作ると振動しなくなる、重いから。例えば、鉄やアルミなどの金属で作ったら鳴らないわけよ。弦と皮(振動版)だけの音になる。音に味がない。だから材料はただ硬ければ良いというものではない。弦楽器というものはすべて振動させた方が良い。振動するから味のある音が出る」。

銘苅をはじめ、道を究めた職人たちの言葉には鋭い洞察力と深みがある。だからこそ、ものづくりを進歩させ続けていけるのだろうし、多くのお客さんに支持されているのだろう。

 

良い三線とは?

「木には色々あるが、全体的なバランスもあるわけよ。形というものは綺麗に生まれる時もあるわけよ、『見ての綺麗さ』のバランスが良いものが。安い材料でも、売りたくないくらい綺麗なものが出来ることがある。良い黒木(黒檀)だからといって綺麗になるかはわからんさ~」。

飽きさせない造形、綺麗さを身にまとった三線。そして良い音、味のある音を奏でる三線。これら全体のバランスがとれた三線こそが、良い三線であると銘苅は言う。

 

銘苅語録

インタビュー中に印象に残った人間、銘苅春政の魅力に満ち溢れた言葉を記してみたいと思う。

 

歌…

「大切なのは重みや味、そして情け。情けというのは心の中にあるその人の持ち味のことよ。良い声でなくても情けはあるわけよ」。

 

弟子…

「雇ってはいない。通ってきている。口で三線づくりは教えられない。ヤナ(下手な)作りでも良い。持ってきたら教える」。

銘苅のところへは何人かの方々は三線づくりを習うために通っている。銘苅が三線作りを教える時は、「見る目」を養うことを大切にしている。これは対面でしか教えられないという。

 

身体能力…

「人間はまっすぐ座れば何時間でも座れるし、姿勢も崩れない。姿勢を曲げているといずれ体もゆがんでくる」。

話の途中、あぐらの状態から手を使わずにスッと立ち上がった銘苅。驚く私を尻目に前屈。指先はしっかり地面に触れている。

 

 

「ボーリング、今でもやってるね。九州ブロックで3位まで行ったこともある。メダルもあるよ。パーフェクト賞をとったこともある。大会にはもう出ないけど、今でも毎週やってるよ」そう言うと今度は片足立ちをしてみせる。体がぐらつくことはない。

 

「ボーリングに必要だからね」と、銘苅は楽しそうに笑った。

そしてまた再び腰を下ろすと、「こういうこともできるよ」と言って、あぐらをかいたまま両腕で自身を持ち上げてみせた。鴨居で懸垂もできると言う。83歳にしてこの身体能力、驚くしかない。

元気の秘訣…

「風邪をひかないこと。ぼくはクーラーをいれたこともない。暑くても熱いお茶を飲む。寝る時に布団はかぶらないし、敷布団もしいたことはない、冬でもね。それと加減と我慢。食べることでもなんでも、太る人は必ず食べる量が多いわけ。ぼくは食べ物の欲はない。お腹が減っていなければ良い。満腹というのが悪い。腹七分目まで。理由をつけて食べたら満足しないよ」

 

心の健康…

「理解があること。短気しないこと。相手が悪くても言わない。ぼくは怒らない。誰が来ても話をする。ストレスをためないこと。良い心を持っていれば何も心配ないよ」と、銘苅は優しく言った。

 

最後に…

銘苅の家にはたくさんの猫がいる。飼い猫かと尋ねてみると

「いや、飼ったことはないよ。猫が勝手に住み着いて子どもを産むわけよ。雨に打たれて死にそうになっていて、かわいそうだから5、6匹ぐらいに餌を買ってあげたら、20匹ぐらいに増えた。動物というのはみんなかわいいと言うが、養うというのが問題。自分では飼わないほうが良い」。

意外な答えが返ってきた。

インタビュー終了後、お礼とともに頭を下げると店の土間の片隅に猫たちのエサ入れが並んでいた。敷地内のあちこちで、猫たちがまどろんでいる。その姿に改めて銘苅春政の優しさに触れた気がした。