ていねいな仕事

みなみ三線店 店主

枝川 勝(えがわ まさる)

 

ショールームのような工房で。

沖縄高速道那覇インターから車で五分、緑に囲まれた閑静な住宅地の中に現れる看板「みなみ三線店」の文字。自分の姓名を店名に冠することなく、「みなみ」という言葉を工房名に付けたことへの理由をまず尋ねようと思った。

 

「やんばるでも中部でも那覇の真ん中でもなく、ここ南風原の地で地道に三線をつくり、県内・県外へと伝えていきたいとの想いから、この店名にしました」と枝川勝氏(以下敬称略)は語る。

 

南風原に「みなみ三線店」あり。いずれ人々からそう言われるようにがんばりつづけたい。若い世代の三線職人ならではの前向きな決意も読み取れる。

 

ガラスのショーケースの中には、完成品の三線、カラクイ、ティーガー、絃やバチなどの小物などがきれいに並べられ、工房を兼ねた店内は清潔感にあふれたショールームのような空間だ。

ピカピカに磨かれたガラスケースの中で、沖縄の工芸織り生地を牛革で閉じたオリジナルのティーガーは高級ネクタイのように吊され、カラクイは宝石のように展示されている。

 

「国道沿いや商店街にある路面店とは違い、お客さんはわざわざうちを目指して来てくださるわけです。お越しになられる多くの方とは、棹につかう原木をご覧いただいてオーダーメイドでつくる三線のご要望を伺ったりするんですね。そのとき、カラクイやティーガーなどの商品もゆったりとご覧になれるように、ショールームみたいな空間にしたいと考えて。それで中古のショーケースとかを少しずつ集めてきたんですよ」

 

「みなみ三線店」のブログやホームページでは、お客さんから依頼を受けて原木の削り出しから始まった三線づくりを工程ごとに紹介。一本の原木が何か月もかけて三線へと完成していく様子を、「オーダー製作日記」というコーナーでていねいに伝えている。

 

職人として三線をつくるという仕事だけでなく、商品の見せ方、売り方にもひと工夫するという経営感覚を若い職人、枝川勝から感じることができる。

 

演奏する側の目線と職人としての目線。

枝川は、1973年浦添市生まれ。両親とふたりの姉をもち、父親は会社員という一般的な家庭で育った。高校時代、エイサーの地謡にあこがれて唄三線をはじめ、28歳で新人賞、31歳で最高賞を受賞。34歳にして琉球國民謡協会教師免許も取得している。

 

「電気関係の会社に就職して、30歳まで会社員と芸能活動を両立してつづけていました。エイサーの地謡をはじめ、地元のイベントや民謡の芸能祭にも積極的に参加しました。そのころ、20代後半くらいから自分に合う三線が欲しくなってきたんです。型は真壁型にして、手が大きいから棹は太めにして、チーガ―内にエレキ加工を施して、といったように。そうやって材料を買ってきて、自分でつくりはじめたのが、三線職人をめざすこととなったきっかけです」

 

20代の後半、沖縄県各地の職人の三線工房を見てまわることもした。さまざまなすばらしい三線との出会いを通して、芸能活動をつづけながらも、少しずつ三線のつくり手としてやってみたいと思うようになる。そんなとき出会ったのが名工、銘苅春政氏だった。

 

「銘苅春政先生は、弟子をとらないことで有名です。ただ、どうしても自分がつくった三線にアドバイスをいただきたくて、思い切って電話したんですね。そうしたら『いいよ、その一本もってきてみなさい』と言われて。ドキドキしながらうかがいました。それから幾度となく、銘苅先生からアドバイスをいただくことになりました。指摘されたのは、ある一部分に集中しているときも、常に全体のバランスを見ながら仕事をしなさいということ。そして、時間をかけて、ていねいに仕事をすること。ていねいな仕事はやがて、お客さんを連れてきてくれるから、と教えていただきました。今も肝に銘じています」

家族とともに浦添から現在の南風原に引っ越してきたのが1999年。新築の家の一階部分を「みなみ三線店」として改装し、看板をかかげたのが2004年。枝川が31歳のときだった。

 

そして2014年、41歳の若さで「三線打ティーワジャコンテスト(主催:沖縄県立博物館・美術館)」において「沖縄県立博物館・美術館館長賞」を受賞した。一次審査でカタチの美しさ、二次審査では音色の美しさが審査基準となり、七名の審査員による総合評定で受賞作品が決められた。枝川が出品した三線がカタチだけでなく、音色の心地よさ、重圧感、余韻、音量、バランス、艶、透明感といった項目でも優れていたことが分かる。

 

今も、芸能活動はつづけている。演奏する側の目線と職人としての目線。このふたつを活かしながら、三線づくりに取り組んでいる。

 

木と対話しながら

「みなみ三線店」は、お客さんの求める三線をつくることを第一に掲げ、原木から選べるフルオーダーメイドの店である。使われる原木は、20年以上乾燥させたものを厳選。工房奥の棚には、オーダーを待ち受ける何本もの在庫があった。

 

「くるちはもちろん、フィリピン産の原木も入手困難になっているのは職人として不安な一面もあります。ですから在庫の確保のために、いいものを入手できる情報を聞きつけると積極的に足を運ぶようにしています」

 

まず、お客さんがどのような音を求めているのか、について尋ねることから製作がはじまる。

 

「民謡を歌う人なのか、古典の方なのか、島唄ポピュラー音楽なのか。棹の太さの好みも、人によって違います。皮の張りについても、この人の唄声なら八分張りが合っている、などとご要望をうかがいながらイメージをふくらませていきます」

 

オーダーしてから納品まで2年待ち。しかしそれでもお客さんは、自分の三線が完成していく工程を「みなみ三線店」のホームページで確認できるので、焦らず、楽しみながら納品の日を心待ちにする。

 

ていねいな仕事を貫こうとする枝川の想いが、この2年という工程に秘められている。

 

「木は削られると、反りが入ったり、ねじれたりして、微動を繰り返す性質があります。少し削ったらしばらく木を落ち着かせるように寝かせてあげる。そうやって木の様子をみながら、木と対話するように製作するため、どうしても時間がかかってしまいます。でも、そこは職人として手を抜けない工程なので、どうぞご理解くださいとお伝えするようにしています」

 

一方、塗りについては試行錯誤の結果、現在は本漆ではなく、木工ウレタンなどの人工漆をつかったオリジナル鏡面塗りで仕上げている。仕上がりの美しさは本漆と同等であると、職人目線による判断からだ。これによって、本来3ヵ月~6ヵ月ほどかかる塗り工程を、約2ヵ月までに短縮させると同時に、仕上がりの美しさも両立させている。

 

県内外から一般の参加者が集まり、世界でひとつだけのマイ三線をつくるワークショップ「第11回三線大学(2017年は11月17日から19日までの三日間。主催:沖縄県三線製作事業協同組合)」が開催された。枝川は参加者にアドバイスをし、手助けをする職人の一員として参加した。棹をヤスリで磨く工程、棹をチーガ―(胴)に差し込み、角度調整をするブ―アティ(部当て)の工程などを、まるで自分の三線を製作しているかのような眼差しで、参加者たちにていねいに何度も何度も、手厚く指導していたのが印象的だった。

 

会社員を辞めて、三線職人の道へ飛び込んだ枝川。三線に囲まれて過ごす今の方が楽しく、充実していると目を細める。そして、インタビューの途中、何度も「ていねいな仕事」という言葉を口にしていた。

「三線の完成を心待ちにしていただいているお客さんをイメージしながら仕事をするのが楽しいですね。ていねいな仕事にこだわり、あせらず気負わず三線づくりに邁進し、いずれ先輩の職人のみなさんに追いつけるよう努力を重ねていきます」

 

高木 正人

 

沖縄県三線製作事業協同組合

支援:沖縄県、公益財団法人沖縄県文化振興会